習慣と勇気
最近、習慣というものは恐ろしいとしみじみ感じる。
良い意味でも悪い意味でも、習慣になっているものはやらないとなんだか気色が悪いもので、例えば旅行に行ったりしてふと非現実に一瞬浸っても、ある程度普段の習慣をこなすことでリズムというものは成り立っているのだと感じる。
自分が続けている打鍵練習なんかもそうで、毎日やっていることをやらないのはなんだか調子が狂ってしまうし、逆に疲れるとわかっていても少しでもやらないと気が収まらなかったりする。
そうした日課のなかで、自然と身に付いたり伸びたりするスキルもあれば、逆に悪習となっていてもやめられないものも出てくるのだろう。
そう考えると、たとえ昔からの伝統であれ、環境要因であれ、自身の意志であれ、習慣がその人を形作っていく部分は大きいのかもしれない。
―― さて、関係あるようなないような話で、勇気についても最近よく考える。
勇気はある意味で習慣と対をなしているもので、大なり小なり、勇気を出すというのは習慣や慣習、慣性を破るものだと思う。
勇気って言葉はなんだか大それているけれど、例えば勇者がドラゴンに立ち向かうだとか、悪者をやっつけるみたいなのだけが勇気とは限らなくて、例えば今日はだるいけど洗濯物は干そうとか、寒いけど布団から出ようとか、そういうのも立派な勇気だと思う。
だから、特段意識しなくても、誰しも毎日勇気を振り絞って生きているし、習慣も慣習も自然と決まるもの。
それでも、たまにふと一つのことをピックアップして意識をしてみるというのは、気づきがあって興味深いと思う。
何もしなくても、本当にすべきことは自然と成されているし、意識すればよりその対象について深く知ることができ、時には思考することや耳を澄ますことも必要だったりする。
そうした自然の営みのなかで、自分が何を習慣として、何に勇気を向けているのか、日々少しずつ気づきを得ていきたい。