kwsk入力で日本語入力を2倍効率化できる?という夢

先日、PC-F配列というものを考えついたという記事を書いて、その後少し練習してみたものの、楽しいは楽しいのだけど結構打鍵するのは大変だった。

でも、しばらく練習していて気づいたのが、そもそも行段系配列って、段だけで実は成立するんじゃないかという仮説。

具体的には、2ch用語kwsk (詳しく) とか wktk (ワクテカ) みたいに、実はそもそも段だけでかなり単語は絞られる。

ということは例えば、

-「今日はとてもいい天気です。」は、「ky h ttm itk ds .」

-「早速いろんな組み合わせを試してみたい。」は、「ssk irnn kmaws w tmst mti.」

になる。

この相互変換って、実はすごく実用的なんじゃないかと思って、これをkwsk形式 (クワシク形式って呼びにくいので、呼称はとりあえずカワサキ形式) と仮称することにして、kwsk形式を出力するスクリプトを書いてみた。

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で、これで出力されたものを例えばSQLiteに保存してDB化すれば一旦試せそうと思って、DB保存部分だけRubyで書いてみた。(ホントは読みも一緒に保存できたほうが良いけど、執筆時点では未実装。)

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これを使って、kwsk形式から日本語になるIMEを実用化すれば、普段使ってるローマ字入力で二倍の打鍵効率を全員が一瞬で享受できることになる可能性があるので、是非とも早く実装してみたい。(実現すればきっと素敵なので、誰かが既に実装してても全然良い。)

まずは上記のスペース混じりを変換するところから始めて、将来的にはドバっと長く打っても直接かな漢字混じりに変換できると理想。実装は多分普通のIMEみたいに実装できると素敵だし、機械学習で実装することもできそう。

とりあえず今回はアイディアだけブログにメモしておいて、すでにこういう入力方式があったりしないか、似たようなこと考えてたとかないかなーと期待しつつ、自分でも少しずつ実装してみたいと思う。

ちなみに、この発想の元になったのは実は英語版のステノタイプで、ステノタイプってほとんどが似たような発想で単語を省略することで一度に打鍵できるようにしている。日本語のステノタイプの情報はほとんど出てこなかったので不明なのだけれど、日本語ステノタイプの情報もあったら是非知りたいなと思う。

ACTH分泌不全症 闘病記 (3): コートリル不足の個人的目安

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下垂体前葉機能低下症 (ACTH単独欠損) を持つ自分なのだけれど、2021年になって、正月明けいきなりダウンして幸先の悪いスタートになった。

患者会下垂会)には参加しているものの、下垂体前葉機能低下症って人によって結構症状が様々で、自分自身の服薬の感覚は自分で掴まないといけないので、当初この病気がわかってからの最初の1, 2年は、よく主治医の先生と連絡を取り合いながら薬の増やし方を練習していた。

最近は感覚で掴んできた感はあったものの、やっぱり冬のように身体ストレスが強かったり、いざ風邪をひいたりしてしんどいと、身体と共に心もしんどくなってよくわからなくなるので、一度自分なりに言語化しておこうと思う。もちろん各個人の症状は主治医の先生と二人三脚で管理していくべきと思うのだけれど、自分自身の備忘録。

ちなみに自分は1日で15mgのコートリルを飲んでいて、朝起きたときに10mg (1錠)、夕方5mg (半錠) 飲んでいる。毎回Google Homeに薬を飲んだと挨拶するのもすっかり毎日の日課となった。(Google Homeを使って服薬記録をとっている方法については後日まとめたい。)

コートリルを増やす個人的タイミング

  • 食欲不振
  • ベッドから起き上がれない
  • 発熱
  • 腹痛
  • 筋肉痛
  • 心がざわざわして落ち着かない

だいたいこの6つ。上4つは多分標準的な基準で、自分は昔から風邪をひいても発熱がないので、発熱という基準はとても分かりづらい。ベッドから起き上がれないときは、だいたい血圧が低かったり、眠くて何度も何度も寝てしまったり、手先が冷たかったりする。

余談だけれど、自分が下垂体前葉機能低下症がわかるきっかけになった、低血糖発作で病院に救急搬送されたときも、胃腸炎で寝込んだまま布団から起きず、冷たいまま一日中起きないのを心配した家族が救急車を呼んでくれたおかげ。自分は意識がなくて全く覚えていないのだけれど…。起きれなくて身体が冷たいときはだいたいヤバいので、そういうときに備えてベッドサイドに薬を常に置いておくようにしている。

で、リストの下2つなのだけれど、筋肉痛があるときはたいてい、前日までの運動量とか仕事量が多すぎて過負荷になっているので、悩むのだけれど多少コートリルを増やしておくとうまくいくことが多い。

最後の心がざわつくというのは、普段瞑想とかマインドフルネスを心がけていて穏やかに感じる自分なのだけれど、それがどうしてもできないときがあって、憂鬱だったり、絶望感を感じて、一種のうつ状態になる日がある。こういう日はたいていコートリルが足りなくてギリギリの状態で身体を保っているのに、感覚が麻痺してて気づけないという日が多い。これは他人がどうか聴いたことがないのでわからないものの、自分はこれに気づいたらすぐに倍量のコートリルを増やすようにしている。そうすると、すぐに心のざわつきも収まるし、ああ病的な感じだったのだとすぐ気づける。

このときとても難しいのが、身体ストレスを感じることができるというのは結構心に余裕があるときで、心に余裕がないと身体ストレスに気づくことが実は結構難しい。心がざわざわするときっていうのはもうそれが限界近いときが多くて、たいてい服薬管理に失敗して数日ダウンしてしまうのは自分はそういう日。

コートリル不足に陥る個人的きっかけ

  • 風邪・感染症
  • 運動量・仕事量の多すぎ
  • 身体の緊張
  • 季節的ストレス

おおよそこの4つ。風邪と感染症は比較的わかりやすくて、自分の感覚では重力が3倍近くに感じて、ベッドからやっとで起きるしかない日。自分発熱がほとんどないので、これすら見誤ることがあるのだけれど、まぁわかりやすい方。

運動量と仕事量の多すぎは、案外気づきにくい。というのも、こういうときってだいたい心は元気だし、脳内麻薬が出てて空元気なので、その日は案外通常の服薬量でも乗り切れる。問題はその2日後とか次の週。ストレスってあとからどかっと身体にくるので不思議。

身体の緊張は、個人的な季節的ストレスと仕事のしすぎに気づくサイン。ここでゆっくり過ごしたり、ツボ押しやマッサージしつつのんびり過ごす余裕があれば良いけど、それすらできなくて凝り固まってるときはだいたいダウンする。

季節的ストレスは、これはもう仕方ない。寒さと暑さは抗いようがない。でも暖房とか温感インナーとかをうまくつかったり、夏なら冷えピタとか、そういうのを上手く使いつつ乗り切るしかないので、乗り切れたら満点。生きてたらなんとかなる。

患者会に参加していると、下垂体前葉機能低下症の人は汗がうまくでなかったり、体温調節に悩みがある人が多い。自分が風邪ひいたときに熱が出ないのも多分それだし、今はないけど、末端冷え性がひどかったりするのもそれだと思う。とにかく寒さ暑さのストレスは意外に身体に負担をかけるので、湯たんぽだったりネックウォーマーだったり、夏なら濡れタオルだったり、そういうものを上手く使って凌ぐしかない。

ダウンした日の個人的な過ごし方

さて、こうやってなんとかダウンした日に気づくことができて、服薬量を自分で増やせたらひと安心。でも、ダウンした日はだいたい落ち込んでるし、仕事は溜まってるしで、それでも勇気をもって休めるかが個人的にとても大事。

長年病気と付き合ってると、もはや他人がどうかとかよくわからないので、熱もないのにダウンして寝込んでるからといって、他人は今ごろ頑張って仕事してるのに自分はとか悩んでてもしょうがない。ただただ休む。

ただただ休むというのが案外難しくて、昔からこういう日は仕方なく好きなアニメを見たり、ゲームしたり、ゲームセンターCX観たりしながら乗り切ってきたけど、ただ寝るのが一番。寝れないときはストレッチしたりセルフマッサージしたり、マインドフルネスを心がけて心を落ち着かせる。

ダウンして寝てる日って不思議なもので、いろんな雑念は飛び交って心がざわざわするし、夜中に目が覚めちゃったり、身体の緊張からいろんな不調が出たりと、いろんな説明できない症状が出たりするものだけれど、これを無心になって乗り切れるかが、個人的なポイント。こういう日はただただやり過ごす。

ただやり過ごすことができて、こういう日に落ち込んだりしないで、これも自分の一部なんだ必要な時間なんだと思って自己肯定感を保つことができたら、なんとなく回復は早いような気がする。無事に回復できたらもう万物に感謝。神様仏様ありがとう。

回復期の個人的な過ごし方

案外難しいのが、実際難所を乗りきったあとの過ごし方で、複数日かけてコートリルを通常量に戻すのだけれど、こういうときって病み上がりで外出が怖かったりするので、あんまり無理をしないようにしてる。

ただ、ベッドで数日寝込んでしまうと、体力が落ちてさらに外出が怖くなる負のスパイラルに陥るので、こうこうときに自分はヨガだったり結跏趺坐だったり、軽度な運動から慣らして、買い物も自販機から徐々にコンビニで一品買いしたりと、段階をつけるようにしている。

こういうときに無理して外出して体調を崩すと、それが新しいトラウマになってまた外出が怖くなってしまうので、自分が自然と外出したいと思えるタイミングまで待つのが大事と思う。根気はいるし、こういうとき他の人がどうしてるのかとても知りたいけど、回復期ってみんな難しいんだろうなと想像する。

まとめ

さて、自分の体感覚をひたすら言語化したので、なんとも恥ずかしい感じの記事になった感があるけれど、こういうのを残しておくことで将来の自分の備忘録とか安心感につながると思うので、こういう記事が書ける心の余裕があるときに言語化しておいた。

何度も書くけれど各個人の症状や体感には大きな差があるので、主治医と二人三脚して、慣れないうちは頻繁に連絡を取り合って感覚を養っていくのが大事と思う。そういう意味を込めて、書く見出しには個人的とつけた。でも、どうしても悩んだときの参考にこうした記事が役立つと嬉しい。

正直、持病があるというだけで悩みは尽きないし、他人と体感覚を共有できないというだけで大きな孤独感や不安感を持つことが多いのだけれど、そういうときでも自尊心をなんとか保って、元気に生きていければ満点なのかなと思う。

片手フリック配列の夢を見た(FL配列)

先日、PC-F配列というものを作ったという記事を書いたのだけれど、動画撮影用にPC-F配列の練習をしていて、ふと、

  • 月配列のように 前置シフト を巧みに使えば、片手フリック (っぽい打鍵) もできるのではないか

という思いつきがあり、早速作ってみた。

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ちなみにここでいう片手フリックっぽい打鍵というのは、指がフリックのごとく上下左右←↑↓→に動いて打鍵できることで、いわゆるアルペジオ打鍵でフリック風の配列を実現し、片手だけで打てることを目指した。

これもPC-F配列と同様に、後ほど動画を撮ってみようと思うけれど、打ってみるとわかるように、意外にもフリック風の打鍵が一応できる。

もちろん、PCキーボードは完全な格子状にはなっていないのと、キーの数が上下に足りないので、いくつか工夫はしていて、通常のフリックでは使われない、斜め上であったり、2つ横を活用して定義している。

また、前置シフトの性質から、通常のフリックのように「あ」と打ったまま「あ」にできないので、しぶしぶ、2つ右を打つと元の文字になるようにした。(この点はエミュレータの実装によって改善すれば、案外この片手フリック風打鍵も実用的になるかもしれない。そうすれば普通のフリックのように「あかさたな」がサクサク打てるようになるし、前置シフトを意識することが軽減されそう。)

実用性がある配列だったかというと全くそうではないのだけれど、前置シフトや同時シフトを巧みに使うといろんな夢をみれる、という、ちょっとしたワクワク感のある実験だった。

いつも実用性ばかり考えて実装していたけれど、たまにはこうやって遊び心をもってツールを使ってみると、意外な発見があって面白い。

PC-F配列 初稿

新下駄配列の覚えにくさをどうにかしつつ、フリック入力との親和性を持たせられないかなーと考えて、初めて新しい配列を作ってみた。

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詳細についてはGitHubのREADMEに記載している通りで、まだ初稿なのだけれど、初稿とはいえ何回も試した末なので、最初のアイデアとして完成していると思う。

コンセプトは PC (で) F (フリック) という名前のごとく、フリック入力との親和性を最重視した、同時打鍵系配列。そもそも自分自身が、パソコンでは新下駄配列+Programmer's Dvorakを愛用しつつ、スマホでも片手フリック入力で結構な分量の文章を書くことから、フリック入力のようなシンプルさと新下駄配列の快適な打鍵感をかけ合わせられないかなと思ったのがきっかけ。

本当は赤外線デバイスとか使って、PCでもフリック入力できるようにするのが一番万人受けするのかもしれないけど、個人的に新下駄配列の打鍵感はとても好きで、なんとかこの2つをかけ合わせられないかという試行錯誤の第一弾。

何度か自分でいろんな言葉を試しにこの配列で打ってみたけれど、自分でも不思議なほど、まるで新下駄配列を打っているような、フリック入力しているような、なんとも不思議な感覚の配列で、練習は必要なものの、実用性は結構あるように感じた。

配列の覚えやすさとシンプルさを最重視しているので、同時打鍵数が多いなど、新下駄配列には効率上は到底及ばないものの、「誰にでも新下駄配列の感覚を」という初期コンセプトには沿った出来になっていると思う。

自分自身ももう少しこの配列を練習して、切り貼りでも動画を撮った上で、改めて解説記事を書こうかな。

(それにしても、この配列早くMacBookで打てるようにKarabinerに移植したいなぁ…。個人的に連続シフトが肝なので、その辺の設定がイマイチ自信がない…。)

[追記1] Karabiner版も変換ツールのおかげですぐできた。が、やっぱり連続シフトが課題。

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[追記2] 可視化するためのビュワーは完成。あとはこれで動画撮るだけだ…ということで、誠意練習中。

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回復力と"マインドフル度"の関係性

最近季節の変わり目で、若干体調を崩していた感があったのだけれど、今日の福岡は非常に温かかったのもあり、ずいぶん調子を取り戻した感がある。

そういう、一種の運命めいた体調の変化というのはどうしようもなく、例えば自分は寒いのが非常に苦手なので、そうしたことはある種仕方がないと切り捨てて考えているのだけれど、一方で、そういう運命めいたバイオリズムに対抗する方策の一つが、瞑想なのかなと最近思う。

以前も瞑想について書いたように、「行事ヨーガ」としての瞑想ももちろんそうなのだけれど、精神状態としての瞑想状態、一種の無我の境地というのは、心身の回復力が非常に高いと感じる。

自分自身、かなり脳疲労しやすい習慣を持っているように思っていて、プログラミングをしていたり、好きなYouTubeを観ているときは、回復力としては弱い状態に思う。

とはいえ、以前も書いたように特定の行動と瞑想状態というのは分離できるもので、一種のスタンスであるので、こうやってブログを新下駄配列で書いているときは自分はとても落ち着いた気持ちになれていて、そういう意味で「書く瞑想」というのが、自分の場合は新下駄配列で好きなことを気ままに打鍵しているときに実現されているように思う。

そういう状態というのは、とても心身ともに安心していて、回復力が高く、理想的な状態だと感じているけれど、おそらく人によってそれが何に該当するかは全く違うはず。例えば公園で汗かいて走っているときにそう思う人もいれば、逆に同じ動作で汗かくのが嫌で全くリラックスできない人もいる。マインドフルネスというのは一種のクオリア、つまり個々人の脳内感覚で、共有できそうで共有しがたい感覚だと、自分は思う。

意志力と回復力

一方で、マインドフルネスをいざというときに発揮するのは難しいという意見もよくみていて、自分自身も半分は同意するし、半分はそうでないと思う。

そもそも瞑想に見返りを求めることがナンセンスな気もしなくもないけれど、人間なので何かしらの行為に効果を求めるのは普通なことであって、マインドフルネスに癒やしとか脳疲労の回復とか、感覚の復活などの効果を求めるのは自然なこと。

ただ、そういう効果というのは、いざその効果が出てほしいときほど、実際は上手くいかないことが多い。それこそ、見返りを求めるばっかりに逆効果になっているのだと感じる。

これについては、意志力というか、これこそ運命めいたものが関わっていると自分は感じていて、無意識でこうあってほしいと自分が望むと、それが一種のアサーションとなって自分を操作することで、結果が一種の現実歪曲空間となって操作されているように思う。

意志力という言い方はあまり的を射てないかもしれず、結果的には自分の運命だと割り切る方がわかりやすいかもしれないけれど、そうした運命めいたものって、たいてい多くの意志力が関わっていて、それは必ずしも自分だけの意思ではなく、他人の意思かもしれないし、集団の意思、地球や別の生命体の意思かもしれない。ただ、自分の行動というのは、裏に多くの意志力が関わっていて、そういう意思に操作されていると自分は思う。

……つまり何が言いたいのかというと、マインドフルネスに見返りを求めて効果を発揮しようとすると案外難しく、でも、習慣として続けていることは、逆に意外なところで大きな効果を発揮するし、全体としてみると大きな影響がある。

マインドフルネスが回復力を発揮するのは事実だと思うけれど、回復力だけを求めるがばかりに、雑念が増えると、あまり本来の効果を生み出さなかったり、そもそも瞑想に集中できなかったり、瞑想状態になれなかったりする。これが、いざというときにマインドフルネスは役に立たないと言われるゆえんだと思う。

たしかに、ストレスフルな状態でマインドフルな状態に遷移させるのは相当に苦労するし、なかなか難しいところはあるけれど、それでもやはりそういうときに自動思考に陥らずに "思考の寸断" や客観性を生み出してくれるのは日々のマインドフルになろうという努力だと思うので、その瞬間瞬間で見返りを求めようというよりは、日々の修行の鍛錬がたまたまそのとき効果を出していると考える方がいいのだろうと最近は思う。

新下駄配列練習481日目: 雑談打鍵動画を作ってみた

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先日、久々に新下駄打鍵動画を作ってみたところ、薙刀式作者の大岡さんから、雑談を打ってる様子もみたいとリクエストがあり、早速作ってみた。

前回の動画では、Programmer's Dvorakで打っている部分が可視化できてなかったので、今回は可視化できるように改良してみた。

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動画中でも少し言及しているけれど、このソースコードをいじるのとても久しぶりで、改めて保守してみるとjQueryで書いてる割には短いコードで書けていて、スマートでいい感じだなと自画自賛。とはいえ、文字入力の最後の文字が何かをマッピングしてるだけなので、ビュワーとしてはちょっと手抜きなんだけどね。

ちなみにこの雑談動画では、最近自分がハマっているホロライブの話とか、仕事のプログラミングの話、jQueryとReactの話とかしてて、新下駄配列 (+Dvorak) の一種の耐久テストととしては、なかなかいろんな話題が入ったんじゃないだろうかと思う。

カタカナ語はやっぱり若干打ちづらいかなーと思ったけど、意外にそんなこともなく、どっちかというと記号と拗音のほうがミスタイプが目立つかも。

実際新下駄配列を打っていると、慣れない言葉は最初はたしかに打ちづらく感じるものの、そのうち最適化されていくのでそんなに苦労しない印象はある。あと、Google日本語入力とかの補完が強いのもあって、よく出てくる単語は逆にそんなに打たなくて済むのも大きくて、この動画中でもバリバリ自動補完を使っている。

AIの自動打鍵支援について

ちなみに最近GitHubCopilotっていうAI打鍵支援を本格的に使い始めて、これ普通の打鍵にも欲しいとリアルに感じる。よく出てくる表現がまるっと全部補完されるのはもちろん、局所的な自作の関数なんかもちゃんと補完されて文脈には超強いし、コメント文から関数を自動生成するスグレモノ。

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元々IntelliCodeっていうちょっとしたAI機能はよく使っていて、これでも十分便利だなと思っていたけど、もうそれとは次元の違う補完に、ちょっと身震いがする気分。

GPT-3のような驚異的AIが本格的に市場に出回ったら、それこそ本当に時代が変わっていくんだろうなと、ワクワクもしつつ末恐ろしくも感じる今日このごろ。(ただ、GPT-3はいまでこそ一部無料で使えたりするけど、正規の価格になったら高いんだろうな…。)

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それにしても、今回新下駄配列を使って打鍵動画を作ってみて、打鍵のモーラ・音節と打鍵音が一致しているのは、なかなか心地よいなぁと感じた。

スペースキーとか本質的でない打鍵音は分けられるともっといいのかもしれないけど、それでも、こういうASMR的なものには新下駄配列は結構向いているのかもしれない。

そういう意味で、よく同時シフト系は打鍵速度を引っ張るといわれているけれど、個人的には「指がしゃべる」感覚は結構心地よいものだと感じていて、名実ともに指がしゃべる配列がもっと普及するといいな。

"思考の寸断" こそがマインドフルネスの面白さ

先日QIitaにマインドフルネスについての私見の記事を書いたところ、思いのほかたくさんの人に読んでもらうことができて、本当に嬉しい限り。

qiita.com

そこでというわけでもないのだけれど、この記事ではマインドフルネスで陥りがちなポイントについて書いたので、今回は、マインドフルネスをやっていて面白いと思うポイントを少し書きたいと思う。

そもそも、マインドフルネスとは瞑想やヨガだけではなく、一瞬の精神状態全般のことを指していると自分は思っていて、いわゆる瞑想やヨガは、ヨーガ・スートラなどでは「行事ヨーガ」と呼ばれて区別されている。

自分はそんなにヨガに詳しいわけではないのだけれど、実際に瞑想を繰り返していると、生活や仕事のふとした瞬間に、自分の思考をふと客観的に見る瞬間があり、個人的にはその 思考の寸断 が起こることがマインドフルネスの面白さだと思っている。

生活の瞬間だけでなく、ある意味ずっと瞑想しているのと変わらないような、「いまこの瞬間に集中」している状態がずっと継続しているのが、個人的には思考もスッキリして理想的だとは思うのだけれど、少なくとも自分の場合は波があって、毎日必ずしもそうとはいえない。日によって、自分が瞑想の時間と決めた瞬間だけがそういう状態ということもあれば、瞑想の時間をとらずとも思考がクリアで自然と細かな物音や所作に気が行き届いているような日もある。

そういう波がある前提で、それでもマインドフルネスがすごいなと思うのは、思考がいくら雑多であったり、疲れて怠けている日でも、ふと、ある瞬間に一種の瞑想状態が思考の寸断として現れることだと感じる。その前後にたとえどんな行動をしていても、どこにいても、何かずっとあることに熱中していても、ふとした瞬間に瞑想状態の思考寸断が起こり、一瞬にして冷静になれる瞬間が現れる。

これは多分、例えば学校のクラスでみんなが話していて、ある瞬間になぜか全員が沈黙してしまう現象、自分の地域では冗談で「神が通る瞬間」と呼んでいたが、これとよく似ているように思う。一種のシンクロニシティというか、おそらく瞑想の鍛錬の連続で、普段の日常動作や日常の感覚のなかに瞑想と共通している瞬間が一瞬だけ発生したときに、一種のフラッシュバックのように瞑想の感覚、束の間の無我の境地を感じるのだと思う。

自分は、マインドフルネスをやる価値というのは、この束の間の思考の寸断、束の間の無我の境地にこそあるように思う。

もちろん、毎日思考が穏やかで、日常の細かなことに感覚が行き届いていて、かつ過敏でもなく幸せに感じるというが理想だと思うのだけれど、Qiitaでも書いたように、苦しみや痛みというものはその事実は消え去るわけではなく、常にその状態を保つというのは人間難しい。

仮にそうだとしても、ある瞬間だけふと、自分を客観的に見つめて、ほんの一秒でも思考を寸断することができたのなら、それ以上に幸せなことはないように思う。

どんな毎日を送っていても、そうやって一瞬でも今の自分自身に、今の身の回りに集中できる瞬間があって、そしてその一瞬だけでも無心になれるのであれば、それ以上に幸せなことはないし、その一瞬があればもうその一日は大丈夫だと思う。

よく、一日無心に過ごせたと感じるような理想的な日があると、感覚的にそうでない日はなんとなく敗北感を感じることが多い気がするのだけれど、多分それすらもナンセンスであって、そういう人間らしい心や身体の揺れ動きを楽しめるようになると、より余裕が出るのだろうと思う。

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ところで、こういう記事を書いていると、たくさん既に瞑想やヨガの記事があるのはわかっていながらも、自分がこうして書いている「瞑想」や「マインドフルネス」って何なのかというのも言及したくなってくる。

それについては、たくさんの先行文献があるのでそちらに任せようと思っていたのだけれど、個人的には、正直、「今この瞬間に集中」できる方法があればなんでも良いと思う。

理想的には、なにか特定の道具を必要とせず、無心で、周りの物音に耳を澄ませたり、体感覚を研ぎ澄ますことができて、あわよくば良い姿勢で長時間続けられるような行為が良いし、それこそが瞑想やマインドフルネスと "俗に" 呼ばれると思うのだけれど、実はそういう行為は 無数に存在 する。

自分はこうやっていま文章を書いていることが何よりのマインドフルネスに感じていて、「書く瞑想」だなと思っているし、他にも「歩く瞑想」や「食べる瞑想」など、何でも瞑想になり得る。

ただ、人によっては、同じ書く行為でもイライラしたり、ストレスに感じることがある。ここがマインドフルネスの非常に難しいところで、同じ行為でもそれが誰でもマインドフルネスに繋がるとはいえず、その意味で、マインドフルネスというのはある種、行為とは切り離された精神状態なのだなと思う。

これについて、状態という言葉を使うべきでないというのもよく目にする。それは、マインドフルネスが行為と切り離して考えることができるように、どんな精神状態であっても実現可能であるためで、例えば悲しくても楽しくても、マインドフルな精神状態というのはあり得る。つまりマインドフルネスというのは、行為とも状態とも切り離して、いつ何時でも実現することができるものだといえる。

……とはいえ、こんな哲学的なことをつらつらと書いていても埒が明かないので、まずは身の回りの物音に耳を澄ませたり、自分の身体の状態をスキャンしてみたり、呼吸に集中してみたり、数を数えてみたりといった行為から入ることをおすすめする。こういうちょっとしたきっかけが、自分をいまこの瞬間に集中させてくれるきっかけになり、深い瞑想への入口になるんじゃないかと思う。