しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

雑記: Threads/自己肯定感

そろそろ梅雨明けかなという季節柄で、夕方の入道雲がきれいな季節になってきた。

梅雨の雨音も心地よいけれど、夏の乾いた空も立体感があって好き。

Threads

そういえば最近、TwitterからThreadsというSNSに人が流れるのではないかというニュースがあって、動向を注視している。たぶんあと数時間でThreadsがMetaからリリースされるのだけれど、どうなるだろう。

(追記: アプリはリリースされたものの、現時点ではまだ利用できない様子。アメリカ時間の7/6から利用できるのかな?)

個人的には旧来のTwitterが好きなので、創業者が制作しているBlueskyが正式リリースされたらぜひそちらを使っていきたいなと思っている。元々Twitterにこれといった不満はなく、アカウントを変えつつも細々と使っていたのだけれど、最近の突然の仕様変更や方針転換、アルゴリズムの変更は、さすがについていけない人が多いのではないだろうか。

自分は特にニュースアプリを使ったりもしていないので、SNSを半分ニュース代わりに使っているし、ウォッチしている技術や業界の動向を観察するのにとてもSNSは便利なので、仮にThreadsが台頭したとして、企業や技術者や芸術家がそこに情報発信していくかどうかは気になるところ。

一時期はつぶやきの場が欲しいかもと思っていて、Twitterが安定しないならばとMastodonを試しに使ったりもしてみたけれど、よく考えてみたら別にメモ帳でも日記帳でもブログでも、なんでも考えや思考はメモすることができるので、自分にとって発信はどうでも良いことなのだと気づき、思考を書きなぐる場所への手段とこだわりは最近あまりなくなった。

自己・肯定・感

思想やコミュニケーションといえば、最近よく哲学・科学系のYouTube動画を見たり、知恵袋の質問を見たり答えたりをたまにやっているのだけれど、今も昔もというべきか、自己肯定感に関する内容がよく見られる。

自分も学生の頃はどうすれば自己肯定感を上げることができるかといったことを熱心に考えたり実践していた時期があったのだけれど、ここ数年マインドフルネスや禅の思想を取り入れるようになってからは、自己肯定感にはあまりこだわらなくなった。

マインドフルネスや禅に関する解釈は人それぞれだと思うし、思想は人それぞれあって良いと思っているのであくまで持論レベルなるかもしれないのだけれど、日々瞑想を実践することを通してあまり自己と他者の区別をしなくなったことと、肯定や否定をあまりしなくなったことが大きい気がする。

どちらもはっきりと言語化するのは難しいのだけれど、前者については、例えば自分がこうしたいという思いは他者も同様に持っていて、自己が抱えている悩みも他者も同様に持っているので、何かしらの明確な意志を持つことは重要ではあるものの、必要なことは必要なときに必然的に起きるので、あまり自己にこだわる必要はないように思う。自己というのはあえて意識しなくても自然と浮かび上がるし、自然と発揮されるものなので、無我くらいの気の持ちようがきっとちょうどいい。

後者の肯定や否定についても同様で、優越感や劣等感というのはどちらも大切なことであって、必要な感覚であるからこそ備わっているものだと思う。なにかの事実に関して、はっきりとこうしたいという意志はとても重要ではあるものの、自己認識と同様に、ある事実や現象について深くこだわりや後付けの認識を持たなくとも、事実は事実として存在するし、想像以上に複雑なものであるから、肯定や否定を超えて、ただあるがままを認識するということの方が重要であると思うし、実はあるがままを認識することの方が苦しく、難しいことであると思う。

と、結果的に抽象的になってしまって、自分の咀嚼力のなさを痛感してしまうけれど、そうした理由で最近は自己肯定感というものはなくても良いと感じている。特に、自己肯定も自己否定も超えた自己認識、そして自己も超えた、単なる現状認識、認知、受容といったことのほうがとても重要であるように思うのだけれど、実際のところは本当に難しいことだと思う。

何度か同様のことをブログに書いてきた気がするのだけれど、言語や思考というのは、自然と物事を分類整理していく過程で二元論的になってしまうし、自分の考えを言葉で整理しようと試みてしまうと、そのジレンマからなかなか抜け出せない。

実際の現実は分類のしようがないほど複雑で、あえていうならば複雑ものは複雑なまま、単純なものは単純なままにしておくべきだと思うのだけれど、自然界や熱力学もそうであるように、現象自体変化を繰り返していくし、観察者である自分の心情や情報も変化していくので、なにかを先入観なしに見るというのは非常に難しい。

だからこそ、瞑想をすることや、無であろうとする試みはとても重要であるように思うし、自戒としても、ときには自分を律しつつときには自分を信頼することへのバランスを保つことは、本当に日々の鍛錬が求められると、常々思う。

m.youtube.com