しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

二律同伴

自分はソフトウェア開発の経歴が長くなっているためか、つい物事をよく、0と1で考えてしまうところがある。

それはそれで便利というか、ソフトウェア開発においては普通のことであって、そうすることでコンピュータに計算をさせることができるようになるのである。

一方で世の中には、量子コンピュータというものが存在する。自分は詳しいわけではないので、詳細は以下を参照いただきたいが、単純にいうならば0と1が共存する、両方の状態を同時に持つコンピュータである。

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0と1を同時に持つビットのことを、量子コンピュータでは量子ビットというそうだ。おそらく、AI同様に、自然界に存在する量子とは似て非なるもので、量子の考え方を取り入れた新しい存在であると自分は認識している *1

上の動画で紹介されているように、量子ビットの制御は非常に難しいらしく、まだ高々数百ビット程度を扱うことがやっとらしい。それでも十分に夢があって高度なことだと自分は思うが、それだけ、量子というのはごく身近にあるにも関わらず、神のなせる業を人間がしようとするのは難しいということなのかもしれない。

話がやや脱線したが、この量子ビットというのは非常に興味深く、繰り返しになるが複数の状態を同時に取り得る。これを重ね合わせという。

重ね合わせの論理は難しいのだが、ごくごく単純に捉えるならば、0と1での思考に凝り固まった頭の体操にはちょうどいいのかもしれないと最近思う。

この世界線でいうならば、二律背反ではなく二律同伴とでもいえようか。

二律背反というのは、よくよく考えると疑わしいものである。例えばユング心理学の心理タイプ分類では、思考と感情、感覚と直感を対立軸にとっているが、この両者は果たして本当に対立軸なのだろうか。

それでも、対立軸を仮に決めてグラフ上にプロットするというのは便利である。その軸上で明確に比較ができ、簡潔に明暗が分かれる。

でもひょっとしたら事実というのは、状態を同時に複数持ち合わせていて、一つ事実を決めるというのは実は難しいことなのかもしれない。

それをいとも簡単にできている人間の脳はすごいとも思うし、人間の脳にはわかり得ない果てしないことが世の中にはたくさんあるとも思うし、不思議でいっぱいである。

*1:この議論はニューラルネットワーク (NN) においてよくいわれるが、現在の機械学習で用いられるニューラルネットワークと脳の中にあるニューラルネットワークは似て非なるものであって、エッセンスを取り入れたものに過ぎない。