『ひとりぼっち惑星』にみる、SNSの"べつのかたち"

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最近東京ではまたコロナの感染者が増えつつあるようで、今年はなにかと難しい年になったなぁと実感する今日このごろ。

自分の実家のある人吉球磨地域は豪雨災害で大きな打撃をうけ、しかもボランティアで来てくれた保健師さんがコロナ感染ということで、一時は大騒ぎになっていた。

いまのところ新たなコロナ感染者は見つからなかったということで少しホッとしているけれど、今年はしばらくコロナや自然との戦いは続きそうだ。

いま主流のSNSにちょっと飽きてきた

さて、そんなこんなでコロナ期に入ってからの新しい生活にも少しずつ慣れてきたけれど、ちょっとずつ、自分のSNSへの向き合い方が変化しつつあるように感じる。

自分はFacebookTwitterを中心に使っていて、たまにInstagram、知り合いと連絡をとるときにはLINE、仕事ではSlackやTeams、趣味ではdiscord・・・といった、いろんなSNSを使っている。

どのSNSも様々な特色があって、使いどころによって分けているといった感じ。

けれど最近、情報収集元としてのSNS としてはFacebookTwitterは素晴らしいなと思いつつ、 コミュニケーションツールとしてのSNS としては、すごく偏りがあるというのを最近強く感じるようになった。

具体的には、一部の非常に発信力のあるユーザの言動は目につくものの、いわゆる普通の、素朴なユーザの声はあまり届かないという現象。それはもちろんSNSの収入源である広告を多く見てもらうために、フィルターバブルといった各種アルゴリズムによるものでもあるし、「いいね」という仕組み自体にある問題でもあると感じる。

この問題は、そもそもの普通のコミュニケーションでもごくありふれて見られる現象でもあるので、特定のSNSの問題ではないと思う。けれど、何かしらこれを解決する方法はないのかなと思い、いま主流になっているSNSとは違う、別の形のSNSがないか少し覗いてみることにした。

前置き: ランダムチャットが大好きな自分

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少し脱線するかもしれないけれど、自分はもともとチャットが結構好きで、特にランダムチャットが大好きだ。

ランダムチャットというのは、全然知らない相手とランダムでマッチングされて、何の情報もない中で相手とチャットコミュニケーションをとる、というサービス。 これが案外面白くて、自分と全然何の関係もない相手とチャットコミュニケーションをとるというのは非常に気楽で面白い。

ランダムチャットにはチャットの本質が詰まっている気が自分はしている。やり取りできるのは文字情報しかなくて、写真や動画などの情報を使わず、純粋に言葉だけでコミュニケーションをとる。

たいていのランダムチャットでは、相手の顔や素性はわからない。つまりコンテクストがほとんどないわからない状況で、それを引き出すことから始まって、お互いの共通点を見つけてコミュニケーションをとる。

この行為は、自分の持っている文字コミュニケーションの技術が試されていると感じるし、なにより、自分が入り込むスキがあるのが面白い。自分自身がその人の人生にほんの少しでも"触れている"感じがするし、声や姿もわからない相手を言葉から推測するので、非常に想像力を使う。

ランダムチャットはとても面白いのだけれど、まともなチャットが成立するまでには色んな人とたくさんマッチングを取ることになるので、結構な打たれ強さが必要で、精神力が削られるというのがデメリット。

・・・と、自分はランダムチャットに結構ハマっているのだけれど、そのランダムチャットとSNSの間くらいの、ちょいど良いコミュニケーションツールはないのだろうかとずっと考えてきた。ランダムチャットのようなある意味特殊で濃いコミュニケーションをしたい気もするし、LINEでやってるようなの本当に普通のコミュニケーションもしたい。そしてそれが普通にフィードとして流れてくるような、そんなSNSを体験したいというのが常にある。

そういった類のSNSとしては、例えば『しまぐらし』のようなボトルメッセージ系SNSは、自分が好みな種類のSNSに入る。ボトルメッセージ系SNSは、自分が書いたメッセージが誰に届くかわからないし、一定の匿名性があり、ランダムチャットに似た面白さがある。自分はこのボトルメッセージ系SNSや類似のSNSが、違った形や発展した形で、コミュニケーションの形自体を考え直すようなSNSってないのだろうかと思った。

そんなときに出会った、コミュニケーションツールとしての『ひとりぼっち惑星』

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さて、ここでやっと本題の、『ひとりぼっち惑星』と出会う。

ひとりぼっち惑星はiPhone/Androidのアプリで、リリースされたのはもう何年も前で、話題になったのは2016年ごろらしい。ただ、今でも色褪せず、例えば「ひとりぼっち文通」などのこのアプリを軸としたイベントがいまも継続して行われていて、その人気は衰えていないようだ。

最初に前置きをしておくと、ひとりぼっち惑星は、すぐに簡単にコミュニケーションができるSNSではない。このアプリで誰かとコミュニケーションをとるためには、ひとりぼっち惑星の世界を一通り体験することが必要で、この一種の "コンセプトゲーム" をクリアしたご褒美として、誰かとコミュニケーションする機会が与えられる。

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自分はこのアプリで最も重要な部分はそこだと思う。作者の提示する一つの世界観を、時間をかけてまず体験する。そして、その時間をかけた過程の果てにあるのは、作者の提示する世界観が十分に共有され、世界観に共感をしたユーザたちである、というのがこのアプリの面白い点だ。おそらく多くのユーザは、実際にコミュニケーションがとれる段階になる前で離脱してしまうほど、このゲームのクリアには時間がかかる。

具体的には、このアプリでは一種のクッキークリッカー的なゲームをクリアする必要がある。クッキークリッカーというのは昔流行ったゲームのいち形態で、1クリックすると1つクッキーがもらえて、ある程度クッキーが貯まると新しい装置をゲットすることができる。装置を得ると、1クリックで10のクッキーがもらえるようになったり、自動化されたりといった具合で、どんどんインフレしていく。これが非常に中毒性があって面白い。

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このひとりぼっち惑星では、そのクッキークリッカー的なゲームをクリアしていく過程で、作者の描いているポストアポカリプス的世界観、いわゆる終末的世界観を体験していくことになる。ゲームの進行が一定程度になると、ちきゅうの外から来たメッセージをアンテナで受信することができ、そのメッセージには様々な終末期的な感情が描かれていて、読むほどに世界観にどっぷりと浸かっていく。

その、終末的世界観を一通り体験した上で、一種のゲームクリアのご褒美として、実際に他人とコミュニケーションをとれるようになる。いや、これが本編といっても良い。

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ただ、コミュニケーションといっても、いわゆる前述のボトルメッセージといわれるもので、このメッセージが誰に伝わるかはわからない。また、メッセージを送受信するためには一定のポイントを消費する必要があるため、送受信コストの概念が存在する。

メッセージを送受信するコストは、前述のクッキークリッカー的ゲームを使って稼いでいくのだが、1つのメッセージを受け取るコストを稼ぐには5分~10分ほどかかり、かつメッセージを受け取るまでに20~30分の待ち時間を必ず待たなければならない。

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この、メッセージを送受信するためにコストを払うという行為が、この世界でのコミュニケーションをさらに面白いものにしている。前述のように一種の世界観を共有したユーザ同士でのコミュニケーションである上、送受信にコストが必要であるため、必然的にとても濃厚なコミュニケーションとなる。

ちなみに送受信できるメッセージはすべてひらがなのみ。これもまた味があって面白い。

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このアプリ内でのコミュニケーションで面白い部分は、前述のような多くの前提を共有したユーザが、一定のコストを支払って送り合っているメッセージであるため、まるでこのアプリで最初から準備されていたかのような、世界観にすごく即したメッセージが多いということにびっくりする。もちろん中にはすごく素朴な普通のメッセージもあって、逆にそれが際立ったり、一つの短い小説を読んでいるかのようなストーリーがあったりする。

赤崎水曜日郵便局との共通点と、ユーザ同士の共有するコンテクストの重要性

自分がこのアプリを利用して真っ先に思い出したのが、赤崎水曜日郵便局というアートプロジェクト。

このプロジェクトは、廃校になった海に面した小学校を利用して、そこに置いてあるポストに自分の水曜日の物語を書いてを投函すると、知らない誰かに届くというもの。

自分はこの『赤崎水曜日郵便局』の単行本をすごく愛読していて、ときどき開いて読むと、何気ない普通の人達の日常がとても輝いて映る。この、何気ない普通の人たちが書いたというのがとても重要だと自分は思っていて、今回取り上げた『ひとりぼっち惑星』にも、その点が非常に共通していると思う。

赤崎水曜日郵便局では、メッセージを投函する人たちは、廃校になった小学校で行われているアートプロジェクト、という物理的な制約をコンテクスト、背景知識として共有している。一方で、ひとりぼっち惑星は、作者の創り出した終末的世界観をコンテクストとして共有している。

今回ひとりぼっち惑星で感じたのは、このユーザ同士の共有するコンテクストというのが、コミュニケーションを取る上で非常に重要だということ。

先程自分があげたランダムチャットでは、ユーザ同士はコンテクストをほぼ共有していない状態から始まるので、それをリアルタイムのコミュニケーションを通じて共有することになる。一方で赤崎水曜日郵便局やひとりぼっち惑星のユーザ同士は、ある一定の世界観を事前に共有した上でコミュニケーションをとるという部分が異なっている。

自分はこの、一つの世界観を"事前に"共有した上でコミュニケーションをとるというのが、改めて考えるととても面白いと思った。実際、村や町で自然にコミュニケーションをとる場合も、その町に住んでいる時点で共通する話題は持っているわけで、この共通する知識やコンテクストを、あえてアプリ作者から時間を与えるというのが、今回のひとりぼっち惑星の魅力的な点だと思う。

例えば赤崎水曜日郵便局では、その物理的制約やアートプロジェクトという性質が参加者を紐付けているのは大きく、単行本を読めばそのコンテクストや雰囲気は十分に伝わってくる。その点でもユーザ同士が事前共有する世界観というのは重要だと感じる。

もしかすると、この一定の事前知識を主催者が提示するというのは、オンラインでない通常のコミュニケーションではごく当たり前に行われているような気もするし、それがオンライン上のコミュニケーションでは意外と欠落していたりするから、オンライン上のコミュニケーションはハードルが上がっているのかもしれない、とも思った。

まとめ: 共通知識の事前共有、送受信コストの大切さ

さてまとめると、今回の『ひとりぼっち惑星』では、コミュニケーションをとるときにユーザ同士で共有する知識として、アプリ作者が一つの世界観を時間をかけて理解させる、という手法が面白いと感じた。

また今回、ボトルメッセージという形態がとられていて、ボトルメッセージを送受信するには一定のコストを支払わせる、という考え方も面白いと思った。

実際、ブログを書くときとSNSを書くときのスタンスの違いがそこにあると思っていて、例えばブログを書くときは、タイトルを付けなければならないし、本文の入力欄も多い。こういったコストというのは、自然に文章を長くする方向に働く。

この送受信に必要なコストをどう捉えるかはユーザ次第だと思うけれど、最近主流のSNSでは送受信コストはゼロに近いものが多く、それと逆行する考え方はとても興味深いと思った。実際、friendedという2年くらい前に登場したSNSでは、前述のフィルターバブルや広告によるバイアスを防ぐために、メッセージの送信コストをフリーミアムにして運営している。今回のひとりぼっち惑星ではアプリ内のゲームをクリアすることをコストとしているけれど、friendedのようにリアルマネーが送受信コストというのも面白いかもしれない。

こうやってときどき全然違う形態のSNSを覗いてみるというのも、楽しい。またときどきやってみよう。