アウフヘーベン
久々の更新かもしれない。
最近、『マインドフルネスを超えて』(原題: Beyond Mindfulness In Plain English)を読んで、とてもよくまとめられている本だと思った。
昔から分厚い本を読むのが結構好きで、分厚いというだけで妙な信頼感があるし、読みごたえがある。
脱線するけれど、分厚い本というのは多分出版するのも大変だし、書店でも倉庫でも場所をとるはずだし、そのハードルを超えてでも出版する何かがあるのだと思う。
ちなみにこの本は既に絶版になっていて、この著者が出している『マインドフルネス』も絶版になっている。(原著は販売中なのかもしれない。)*1
『マインドフルネスを超えて』は、他の仏教書に比べると確かに平易な言葉で書かれていて、言葉の指している先である中身や概念自体がわかりやすいかどうかはさておき、文章はとてもわかりやすかった。何度も何度も読んで咀嚼する価値のある本だと思う。
内容については主にサマタ瞑想の段階についての解説や、ヴィパッサナー瞑想との違い、各種仏教用語の説明で、どのページも興味深く、マインドフルネスからさらに仏教という宗教に踏み込んだという点でも、まさにタイトル通りの中身だった。
仏教に関する本ではあるものの、他の宗教に相当に配慮した中身になっていて、そうした意味でも仏教の入門書として優れているのではないかと思った。
集中と気づきの重要性を終始キーワードとして書かれており、没頭との違いや、どういう状態が正しい集中なのかという記述が興味深かった。
―― さて、ここからはタイトルについて。
中道、という仏教用語がある。"中"の意味と"道"の意味がそれぞれWikipedia等で解説があるけれども、概ね、選択肢が二つあった場合に間をいく、バランスをとる、といった意味であると思う。
二つの間、というのが何を指しているかで意見がわかれるところなのだと思うけれど、個人的にはアウフヘーベンに近いのではないか、そうであったらいいなと思っている。
二つの異なる概念があったら、その二つともを活かしていて、かつそのどちらでもない新たな考え方、新たな次元の見方を提示すること。
いつも何かアイディアを出すときや、どうしても困っている二律背反なことに出逢い、立ち行かなくなったとき、このアウフヘーベンをいつも意識している。
けれど、アウフヘーベンというのは簡単ではない。
簡単ではないからこそ面白くて、奥が深い。きっと中道というのもそうなんだろうなと思う。
決して中途半端なわけではなくて、絶妙なバランス感覚を持ち、両者を生かした新たな次元の答えを常に問う。
こういう生き方をしていきたいなと思うし、その過程で悩んだとき、先人たちがどうやってそれを乗り越えてきたか、そして今生きている人たちがどうやって壁を乗り越えているのか、そういうことを聴いていきたいし、学んでいきたいなと思う。
必ずしも、偉大なヒーローばかりがアウフヘーベンをしているとは限らない。一人一人、そして全ての物事が、いろんなアウフヘーベンを持ち、実践をしているはずだと思う。
そうした一つ一つの何気ない気づきに対して、耳を傾けていきたいと思うし、掘り起こすことができるようになりたいと思う。
*1:追記: 絶版の理由は、出版社のサンガが2021年に倒産したためだった。