しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

転職5ヶ月目の振り返り:安心感の有り難さ

転職して以来、目まぐるしく毎日を過ごしていたので、4ヶ月ほど経ったここらへんで一度内面を振り返ってみようと思う。

キー配列の選択とストレス度合いの相関

そういえば、新下駄配列とProgrammer's Dvorakを習得して気づいたことが、自分は急いでいるときほどQwertyを使いがちで、精神的に余裕があると新下駄+DvorakPを使いがちという感じ。これだけでも自然とストレス度合いが把握できる。

両者一長一短あって、Qwertyは速度面は申し分ないので短時間の高速打鍵には向いているし、他者のパソコンなど環境変化に強く、ショートカットキーなどの不便も少ないので、何も考えることなく打つことができる。一方で指への疲労は蓄積しがち。

新下駄とDvorakPは長時間の打鍵に非常に向いているものの、エミュレータなど専用の環境が必要というのもあるし、現段階の自分は瞬間打鍵速度がさほど速くなく、一部の低頻度キーの打鍵に迷うので、ストレスがかかるとついQwertyに切り替えがち。

とはいえ、こうした特徴はどういう配列にもいえることなので、何に重きを置くかが重要だと思う。新下駄やDvorakPは学習コストは高いものの、一度習熟すればQwertyと変わらずボーッとしても打てる点は変わらないので、最終形態の理想像で決めるべきかなと思う。

その点、自分が新下駄+DvorakPを選択した理由は、落ち着いて長時間ストレスなく打鍵できること。この目的は十二分に達成できているし、こうやって落ち着いて過去を振り返るような文章打鍵には最適。ここから瞬間打鍵速度を上げようと思うと辛いものがあると思うけれど、たいてい、瞬間的に高速で書くべきものは少ないし、短時間ならQwertyでも問題なく、腰を据えて長時間、思考を練りながら長文を書くスタイルにはちょうど良い。

余談: vimキーバインドとDvorakP

せっかく打鍵について触れたので、長い間苦労していたキーバインドvimとの連携について触れると、正直慣れてきて、DvorakPでもQwertyでも問題なくどのツールも使えるようになった。とはいえBlenderやUnity、UEなどの3Dツール群などはQwertyが最適であることには変わりなく、自分はCtrlキーを押すとQwertyに切り替わるCmdQwertyやCtrlQwertyのようなレイヤーは必須だと思っているので、Qwertyの良い面は良い面で共存していくべきというのが自分の考え。

安心感の大切さと有り難さ

さて、本題である転職5ヶ月目について。4月からの新生活によって随分といろんな経験をして、以前との会社や環境との違いを否応なく体験したなかで、キーワードとして最も印象に残ったのは「安心感」だった。

安心感というものを何で感じるかというのは本当に人それぞれであって、たとえ猛暑のなかでも、苦行の中でも、逆にいかに快適な環境でも、幸福感を感じる人もいればそうでない人もいる。

自分がここ数年大切にしている「マインドフルネス」についても、決して万能のツールではなく銀の弾丸ではないので、これさえしていれば必ず幸福だとか、必ず安心が得られるというものでは決してない。

マインドフルネスや瞑想を重ねることで気づきがある分だけ、マイナスの影響として、今まで気にならなかった些細なことに気が向くようになったために騒音などが気になることもあるし、同様に音楽や娯楽や嗜好品を断とうとすることでかえってストレスが強まることだってある。

ただ、瞬間瞬間ではいろんな悩みや苦労に苛まれても、気づきの多い生活をしていたほうが長期的には良いバランスに至ると自分は考えていて、さっきの打鍵の話と同様に、自分が無意識に受けている感覚やストレスといったものに常に目を向けていくことは、実際に気づきをどう処理するかという部分とは分離した上で、大切だと思う。

そういった気づきのなかで、改めて、「安心感を得る」ということの有り難さをまじまじと感じた4ヶ月だった。

どんな選択でも最終的に全肯定する、許容する

安心感というのは、自分一人の内面改善だけで100%得られるものかというと決してそうではないし、かといって無闇矢鱈に内外の改善活動だけをして得られるというものでもない。

安心感というのは自分の印象なのだから、最終的にはどんな状態も肯定することで得られるのだけれど、やはり瞬間瞬間はいろんな不安がつきまとうし、不安というのは適度に必要なものであって、その移ろいゆく心象風景を自他ともにどうやって認めるかという部分の難しさが、総じて安心感に繋がる。

例えば、安心感が広がっている組織というのは、みんなが安心して自律した行動を取ることができるし、ふとした瞬間においても落ち着いて考えることができる。でも、どんなに安心感のある環境や組織でも不安は必ずあるものであって、そうした必然的に湧き上がる日々の大小の悩みをどういうふうに乗り越えていくか、その一つ一つが個性を作っていくのだなと思う。

そういう意味で、個性というのは一つ一つの決断のなかで必然的に生まれてくるものなので、あとはいかにして個々の課題や作務に無心で向き合えるか、それこそ安心して目の前のことに打ち込めるかというのが、総じて大きな違いを生むのだと思う。

自分自身は日々、単に目の前のことに向き合っているだけなので、こういう過去を振り返る瞬間を除いては、どういう大きな流れのなかに自分がいるのかはわからないのだけれど、こうした一つ一つの選択への真摯な向き合いが最終的な結果に繋がるのだと信じたいし、たとえ選択に迷ったとしても、最終的にどんな決断や選択をしても肯定できる自己を維持することで、最終的に自他共に安心感を得られるように努力していきたい。

最終的な全肯定というのは、一見して思考放棄のようにも感じるのだけれど、選択というのは二者択一でもなければ、選択により得られた経験は必ず蓄積するのだから、物事の良し悪しと関係なく自己肯定することは、全てにおいて大切なスタンスだと自分は思う。

その前提において本当に難しいのは、実はバランス感覚であって、自己肯定するからといって驕ることなく、必要なアクションは起こしつつ一方で謙虚に過度に求めないということが、実は何よりも難しく有り難く、毎日努力していても得難いものだと痛感する。