しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

ソシオニクスとMBTI

最近なんだか絶不調で、必死に糸口を探していたのだけれど、ユング派心理学のおかげで救いを得た。

普段はユング派であったりフロイト派のような、理論的・構造的な心理学は実はあまり得意ではないのだけれど、今回ばかりは本当に感謝申し上げたい。

ユング派のMBTI系列の自己分析や、特にソシオニクス、ソシオタイプによる自己分析が非常に的確だった。自分のソシオタイプはIEEないしIEI、MBTI分類はENFPないしINFPらしい。*1*2

結果の云々はさておき、今回発見があったのが、自分はもともと、自分の苦手を補うためにパソコンを始めて、そして同様にマインドフルネスや瞑想、ヨガなどを始めたという事実が、もうその当初から何年も経っているがために、自己認識とほぼ同化していた。

そのため、自分は理論的で情報処理が得意だと、事実そうなのかもしれないけれど本質的なところを勘違いしてしまうことで、例えばパソコンのようなツールがなくても自己管理できるのかとか、マインドフルネスのような方法論やルールなしに体調管理ができるのかといった、本質的なところでスランプに陥っていた。

コートリルなどの薬もそうだけれども、そうした自分を補助しつつ、もはや自分の一つになってしまっているものに対して、自己認識を外すというのは、実は非常に難しいことであるということを今回改めて知った。

日本人に多い気質として、家族や村や町などのコミュニティも含めて自尊心を保つというのも、改めて考えると不可分な関係にあり、深く詰めていくと難しいのかもしれない。

ただ、だからといってどうしたら良いかというのは非常に難しく、同時にもう答えは全てあると言っても過言ではないのだけれど、なんとなく安心感が得られてホッとした。人間なにごとにおいても、安心するというのが一番必要でありつつ、一番難しいことなのかもしれない。

なお、どこまでが自己でどこからは自己でないかの区別が難しい以上は、結果的に心理テストの結果も実は正確に読み取ることも、"正しい"結果を導くことも難しい。ただ、それによって気づきを得ることはできる。

余談として、常日頃思っているのだけれど、HSPのような、〇〇な人、といった、まるで自己は変わることがなくて本質的にそうであるというような考え方は、あまり良くないと自分は思う。

環境も自己認識も感度も状況によりさまざまに変容していくので、Highly Sensitiveな状態というのはありえるけれど、一生そのまんまの人はいないと考えると、〇〇Personとか〇〇な人といった用語は、扱いが難しい。何においても、参考程度にするのがちょうどいいのだと思う。

*1:タイプはあくまで指標にしかならないし、設問によって複雑に変化するので、一つのテストだけで本質を読み取るのは難しく、個人的には短絡的に結果を見るのはおすすめしない。したがって今回はサイト紹介などもしないことにした。バーナム効果にも注意。

*2:IとEが入れ替わるのは、持病等により設問の内容次第で回答が一定しないため。おそらく本質的にはIEE、ENFPと思う。