しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

色即是空?と空即是色?

前々回に引き続き、仏教の用語で過去の意味と現代の意味 *1 で変わっていったものというのを調べていっていて、今回は「色」。

色の定義については、以下の論文が興味深い。

色 (rupa) は物質ではない ―仏典における原意と訳語の考察― 村上 真完 (印度學佛教學研究 第59巻 第2号 平成23年3月)

「色即是空」は、例えば三省堂 新明解四字熟語辞典 (引用元) によると以下のように書かれている。

現世に存在するあらゆる事物や現象はすべて実体ではなく、空無であるということ。▽仏教語。「色」はこの世のすべての事物や現象。「空」は固定的な実体がなく空無であること。

一方この論文によると、「色」というのは広義には「感じられ意識されるもの」とされ、狭義には「認識領域(十二処:六内処、六外処)における色」とされている。ということは、「全てのあらゆる事物は」の部分は「感じられ意識されるものは」という意味だったと取れる。

一切皆苦のときと同様、全てのあらゆる〇〇は、という言葉が現れたときは、疑ってかかったほうがいいのかもしれない。

なお「色即是空」に関しては、素人の自分が解説するよりも、よりわかりやすい解説があるので引用に留めておきたいと思う。

www.d-tokoji.com

この記事で印象深いのは、一緒に考えられがちな「色即是空」と「空即是色」も、よく考えると双方成り立つというのは不思議だということ。よく数学でも、仮定と結論の逆は成り立つとは限らないときがあるけれども、それと同じで、必要十分条件であるというのを証明するのは結構難しいことだと思う。その難しさや奥深さがわかる結論部分だけを下に引用しておく。

色即是空は「色は空によって変えられる頑張れ!」と説き、空即是色は「空でも色は変えられない受け入れろ!」と説く。

また、「空」という言葉の定義についても、一般に思われている意味と若干ニュアンスが異なっているというのが、引用元の記事を読むと示唆される。そう考えると次のテーマは「空」にしたほうが良いかもしれない。

前回も前々回もそうだったけれど、言葉の定義の問題は、単なる認識の誤りといったものではなくて、わかりやすく万人に伝えようと努力した結果、意味がだんだんと転じてきた、というものに過ぎないので、過去の本来の定義が完全無欠に正しいというものではない、と自分は思う。

どちらも味があるし、現代の言葉も現代の人たちがスッと入ってくるように工夫されている。なので、過去はこうだった、現代はこうなっている、という事実を受け止めるだけで十分であるし、過去は想像や検証をするしかないので、検証の積み重ねを行っている方々に対しては本当に尊敬の念しかない。

*1:「過去の意味」というのは一次資料が表現したかった意味に近い表現、「現代の意味」というのは一般にこうだと思われている意味、という定義で使っている