しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

感情におけるドベネクの桶

最近改めて気づいたのだけれど、自分は思った以上に、自分が本当にやりたいことに自分で歯止めをかけている。

これは誰しもあることだと思うのだけれど、例えばゲームがやりたいけど明日は仕事が早いからやめようとか、例えば平日は眼精疲労が辛いから、休日に目に負担をかけることはやめようとか、そういう類いの配慮からはじまる。

こうしたことに正解は存在しないし、逆に、全てのやりたいことができていないわけではない。

それでも、元々持病の関係もあって自分自身で行動に制約をかけることが多いので、特に身体ストレスが高い時期にはこうしたことが気になり出す。

おそらくこういったことは桶のように、ある閾値を超えたときに気になり出すし、栄養学でいうドベネクの桶のように、何かが極端に不足していたりすると、他の何かが秀でていても、目の上のたんこぶのようにずっと繰り返し気になるのだろう。

何に対して特に不足感があるのかどうかは、自然と何度も考えるものから推測できる気もするし、案外、思ってもいないことから急に充足感が得られることもある。

よく製品開発において、社内で欲しいものを作るべきか否かという議論がある。自分たちの欲しいものではなくて、マーケティングした上で顧客が真に欲しいものを作るべきなのだといわれることもある一方で、とにかく思いつくものを作ってたくさん失敗を重ねることで、良い製品ができるという考え方もある。

とにかく、こうしたことには答えは存在しないので、自分の感覚にあったものが自然と自分に寄り添ってくるものだろうと思う。気長に待つことにする。