瞑想と対話、何もしない勇気

最近毎朝だいたい5時ごろに起きて、コワーキングに出勤して仕事を片付けるのが日課になっているのだけど、早朝の静けさはとても心地良い。

昔からシーンとした時間に一人集中して作業するのがとても好きで、年齢的に深夜であることが多かったのだけど、最近は早朝が好き。ここ半年はフリーランスとして働いているので、特に出社の時間が決まっているわけでもないのだけど、会社員時代には朝めっぽう弱かったのが、出社しなくなってから早朝に仕事するようになるというのも、なんだか皮肉なものだ。

瞑想と対話

さて、最近毎日、瞑想したり結跏趺坐を組んだりして感じることは、対話の重要性。

瞑想って一見とても孤独な行為に感じるのだけれど、実はいろんなことと対話しているように思う。対話というのは必ずしも言葉を発して話すことではないということを、瞑想中は何よりも感じる。

マインドフルネスの用語にボディスキャンというものがあるけれど、ボディスキャンはまさに身体との対話。歩行瞑想や食事瞑想もそうだし、サマタ瞑想であれヴィパッサナー瞑想であれ、何らかの対象をセンシングしようとする行為に変わりなく、それは常に何かと対話しようとする行為だと思う。

瞑想中はいろんなことを吸収したり感じたりできるけれど、それは思考以外にいろんな感覚を研ぎ澄ますからで、この段階でいつも感じるのは、思考で解決することは手段の一つでしかないということ。

呼吸をすること、聴こえる物音に耳を澄ますこと、身体の緊張を感じること、姿勢を意識すること、瞑想中にできる対話というのは無限大にあって、思考はその無限大の選択肢のほんの一つでしかない。

瞑想自身ももちろん選択肢の一つであって、あくまで対話法の一つ。自分が何と対話しているのかを感じて、対話を繰り返すことが大事なのだと思う。

何もしない勇気

昔の自分は何かにつけて、思考によって解決しようとしたり、情報を収集してその情報だけで物事を判断しようとする傾向があったけれど、今の自分に大切なのは何もしない勇気のように思う。

何もしないというのはとても勇気がいる。人間って自然と何かをしたり何かを考えるようにできていて、特に情報が溢れている現代では何もしないというのはとても難しい。

それでも勇気をもって何もしないというのは、余裕を生み出すということであって、余暇を作るということだと思う。

どんなに好きなことでも、無闇矢鱈にやっているとやりたくなくなってしまうように、どんなに物事を効率化しても、何もしない余裕はとても大切に思う。

何もしないでいると、それだけで自然と何かしたくなってくるし、自然と活力が湧いてくる。

瞑想は何もしていないのかと言われると難しいけれど、何もしないということは、それだけで何かを吸収ための心の余裕を生み出してくれて、新たな視野を広げることに繋がると思う。

瞑想で解決するような事象は、特にそれが顕著な気がしていて、心の問題や身体の問題の多くは、実は頭で考えても何も解決しないことが多くて、何もしないことで自然と解決することが案外多くある。

なのでたまには、勇気をもって丸一日何もしない日を作ってもいいんじゃないかなと思う。何もしないというのは、実はとても難しいのだけれど。

穴をとにかく埋めようとするのではなくて、穴があることを認識した上で、あえて穴が空いたままにする勇気がたまには要る。