コロナ禍での外部刺激の変化と行動の変化

最近自分は毎日Notionに日誌のようなものをつけていて、そこで日々の思考整理や思考実験をしているのだけど、ちょっと最近のコロナ状況下で、自分が気付いていない間に変わった思考原理の変化があったのでメモしておきたい。

先日自分は大学の卒業制作を見に行く機会があったのだけど、ふとそのことについて日記をつけていると、こういう展示を見に行くという行為自体がすごく久しぶりなことだということに気づいた。

思ってみれば2019年とその前は、多くの展示会が身の回りであっていて、アート展だったり発表だったりをよく見に行っていたし、設営の手伝いに行ったりもしていた。思ってみれば今年はそういう機会はすごく少なくなってしまった。

そのことで、自分自身の行動原理自体、大きく変わっていると思うのだけれど、実は気付かない間に、そういうものから受けていた刺激によって触発される、自分の興味の方向性自体もだいぶ変わっているんじゃないかということにふと気づいた。

自分は今までアート展を見たりした後に、触発されていろいろ書籍を買ったり、自分自身の創作活動のベクトルを少し変化させたりしてきた。でも今年はそういう機会自体が少なく、どちらかというとSNSの情報や書籍の情報によって自分の行動を決めていたように思う。

そういう意味で多分一昨年までと最も大きく変化したのが外国人との関わりで、今までは直接外国人と触れ合う機会が多少はあったのが、今はSNSやインターネット、書籍を通じてだけコミュニケーションをとっているなぁと思う。そうやって考えている最中に気付いたのだけれど、実はそのこと自体は今も前も全く変わっていなくて、コロナに入る前もGithubやArtStation、SketchFabなどを通じて外国人と交流していたことに変わりはないし、その過程で自分は正直、外国人と日本人を区別することも、何言語でコミュニケーションをとっているかすらもあまり意識することはなかった。自分はそのこと自体、考えてみるとすごく驚異的なことだと思っていて、いかに情報通信技術がもともと高度な水準にあって、それに下支えされてこのコロナ状況下のコミュニケーションができているのかということに今更気付かされた。

この観点で、自分たちはホントに知らず知らずのうちに不思議な環境に身を置いて適用して生きているんだなと思った。特にSNSWebサービスの進化はすごく早くて、そういうサービスが出たときはいろいろと意識して選択したりしているものの、一度使い始めると空気のような存在になってしまって全く意識することがなくなってしまうのだなと、今回思考整理していて改めて気付かされた。

なので、一見コロナの影響でインバウンドが減って、外国人との交流は全くなくなったかのように思ってしまっていて怖くなったけど、実情は全くそういうことはないし、自分個人的には今まで以上に今年は外国語についての興味はすごく高まっていて、例えば今年になってやっと中国語のピンインが少し読めるようになったりと、本当に知らず知らず外国との交流はあるし、もうもはや外国と国内を区別して考えることは全くといっていいほど、自分自身についてはなくなっているなと思う。よく考えたらコンビニとかにも海外産の商品や原材料はすごくたくさんあるけど、もうほとんど意識することがなくなっているのと同じことかもしれない。

こういう、外国と日本の区別をほとんど自分がしなくなった背景には、身の回りに実はコロナ状況下でもたくさん在日外国人がいて、その人たちがすごく日本語も母国語も達者で、日本人と全く区別することなくコミュニケーションをとれてこれてきたというのも大きい気がした。正直いままで書いたようなことを考えるまでは、その人たちの存在について、全く日本人と区別して考えてこなかったし、去年と今年のような異常な状況下でもそうした在日外国人の人たちが普通に身の回りにいてくれるというのは、とても有り難いことだなと思った。

……ということで、ちょっと長くなったけど、コロナ状況下で自分を取り巻く環境は様変わりしつつも、実は形を変えて今までのような刺激もコミュニケーションも存在し続けているんじゃないかと思う。もちろんその変革によって変わっていくこともたくさんあると思うし、自分のなかの外国人と日本人の区別の希薄化のように、忘れられていく感覚もあると思うけど、意外に人間って器用に環境に適用して生きている生き物なんだなと思うので、そんなに不安に思うことは実は少ないのかもしれない。