しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

Astarte+配列練習62日目: 新下駄が打てなくなる

タイトルをすごく迷ったのだけれど、今回はこの記事自体をあえて新下駄配列で打ってみる。ちなみに新下駄配列の練習日誌でいうと947日目らしくて、時間が経つのってホントに早いんだなと驚き。

ここ最近ずっとAstarte+で打鍵練習をしていたので、案の定というか、久々に新下駄配列を打ってみると全然打てない。

Qwertyから他の配列に移行するときも通る道なので、やむを得ないし、たぶん何日かリハビリ的に打鍵を続ければまた打てるようになるはずなので心配はないけれど、やっぱりかという感じ。(Astarte+と新下駄は共存して使おうと思っているので、ここからが苦労しそう。)

打鍵というのはある段階を超えると、筋肉の記憶として覚えていて、身体感覚で打っているので、何ヶ月も別の手段で練習していたら上書きされるのは当たり前かなと思う。

不思議なのは、全部の"かな"が等しく打てなくなっているわけではなくて、特定のかなや組み合わせに打ちづらさを感じる。これは"かな"ごとに全く打鍵方法を変えている新下駄ならではの傾向なのかなと思うと面白い。

例えば今の自分は新下駄の「び」と「ぴ」の打ち方がどうも思い出せなくて、打っていても頭で理解したレベル。使い始めて3年も経っているのにたった2ヶ月打たないだけでこの感覚というのは不思議。

そう考えるとやっぱり使用頻度によって記憶の程度や段階は違っていたのだなと思えるし、やっぱり毎日少しずつ忘れていくのを日々の身体感覚で上書きしながら記憶していっていたのだなと思い知らされる。

また、久々に新下駄配列を打ってみると、こういう身体動作だったなぁと新鮮に思える。特に2キー同時打鍵が続くストロークは、他の打鍵配列ではあまりないので、両手をちょっと浮かせながら打つような、ピアノでも弾いているような感覚は不思議だなぁと、良し悪しを超えてなんだか新鮮。

人は同じものに何度も出会うと聞いたことがあるけれど、こうやって同じものや人に何回も違った側面や状況で出会うことで、だんだんと理解していくのだろうな。ひょっとすると全ては一期一会なのかもしれない。