どっちでもいい
「洋食にしようか和食にしようか」「どっちでもいい」
どっちでもいいって答えられると若干戸惑う。
けど、人生の大抵のことってどっちでもいい。
大丈夫とか、安心してとか
どちらでも良いというのは、選択肢が残されていて素晴らしいと自分は思うのだけれど、さっきのシチュエーションだと、決めかねて迷っているのに選択を放棄されたのだからそりゃ困る。
そういうのも含めて、人間って、どちらでもいいと言われると確かに不安になるもの。
だからこそどちらでもいいときは、誰かがどっちかに決めてくれたり、「大丈夫」とか、「安心して」と言われる方がまだ安心する。
でもそれって結局事実は変わらない。
無関心
どちらでもいいっていうのは、無関心にも聞こえるからイライラするのだと思う。好きの反対は嫌い、嫌いの反対は好きと言われるように、好きでも嫌いでも関心があることには変わりなく、無関心というのが一番悲しいもの。
でも、大抵のことってどうでもいいよね。
さっきの話を逆に捉えれば、大丈夫なこと、安心なことって大抵どうでもいいこと。
どうでもいいっていう響きがなんとなく悪いだけで、ほぼすべての物事は左右上下どっちにでも転ぶのだから、どちらでもよい。
どちらでも良いということは、安心して良いということ。
迷っても迷わなくても
どちらにするか迷ったとき、選択しなければいけないとき、プレッシャーに駆られたりするけれど、時々このことを思い出して少しホッと一息。
切羽詰まってどうしてもやらなければならない、腹をくくるしかない、諦めの境地、そんなときはもう迷いすらないのだから、ある意味安心。
迷いがあってどちらにするか困るとき、そんなときはどちらにでもできるのだから安心。
こう思うと、ちょっと安心。