しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

今日がもし最後の日だったら

スティーブ・ジョブズが、スタンフォード大学の卒業式で卒業生に贈った言葉の一節で、

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today ?

(和訳: もし今日が最期の日なら、今やろうとしていることをするだろうか)

という言葉がある。

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しばらくこれを座右の銘にして毎日考えていた時期があって、最近は否が応でも考える。

気分と調子の波

下垂体前葉機能低下症(ACTH単独欠損)という病気はなかなか難しいもので、正直言って落差がものすごく激しく、あるときは全く普通の人と変わらず、何にも意識しない数ヶ月があるかと思いきや、急にある日シックデイで死にかける思いをする。

また、コートリルの増減によっては、まるで双極性障害のような気分のアップダウンを半強制的に経験するので、風邪をひいた前後や季節の変わり目はもう気が気ではない。

そういう波をなくしたいなと思うし、シックデイで失敗したくないと思うのだけれど、なかなか難しい。

この病気は非特異的症状があるのが特徴なので、同じ病気の人が同じことで悩んでいるとは限らないのだけれど、他の人はどうやって自尊心を保っているのだろうといつも思う。

一年のうち大半は普通に過ごして、とても元気に過ごしていて、年にほんの何日か、すさまじくショックを受ける。……でもこれってみんなそうか。普通かな。

普通か否か

自分の人生の一つのキーワードに、普通なのかどうかわからないというのがある。

きっと他の人も同じことで悩んでいると思いつつも、難病によってなかなか共有しがたい経験をするし、非特異的症状なので同じ病気の人とも分かち合えるようで分かち合えない。

そうなると、普通の基準って正直わからないし、定期的に血液検査等の数値をちゃんとチェックするしかないし、そういうので測れないものだってたくさんある。

でもそれもよく考えたら普通のことかもしれない。

パラドックス

じゃあ改めて、今日がもし最後の日だったら何するだろうと考えたとき、やっぱり自分はなにもしないんじゃないかなと思う。

言葉というのはホント難しくて、こう書くと文字通り何もしないと捉えられると思うのだけれど、世の中にはパラドックスというものがたくさんある。瞑想もその一つだと自分は思う。

なにもしないように努めれば努めるほど、なにかがしたくてたまらなくなる。

なにもしないでいるほど、身体が自然と何かをしている事実にたくさん気づくようになる。

パラドックスを自分の中心に沿えるのはとても勇気が要るのだけれど、これはいわゆる逆引き寄せの法則という、言っていることとやっていることが実は真逆だったり、深層心理は違っていることに由来すると考える。

だから、何をしていても深層心理は自然と反映されるものだと確信しているので、自分は、勇気をもってなにもしない。

なにもしないでただ事実を観察し、感覚を研ぎ澄ますことで、自然と深層心理を反映した行動や結果が起こる。

それが前述のようにうまくいかない結果になって、悩んだり苦しんだりすることになることもあるのだけど、それも人間らしいとも思うし、抗うべきときは思考する前に自然と抗ってしまうので、自分を信頼するしかない。

できるだけその日その瞬間に集中できるように、今この瞬間を最大限生きるために、なにもしないように努めたい。