リバランス
最近ふと、自分は力を意識して緩めることは多くても、意識して入れることはあんまりないなぁと気づいた。
もともと、気づかないうちに力んでしまうことが多かったので、意識としては偏ったままで問題なかったのだけれど、最近はなんとなくニュートラルに過ごすことが多いので、どちらも必要だなと思い直す。
そうやって、人間というのは日々いろんなバランスの元に生きていて、そのときその瞬間で必要とされるものは違ってくるのだと思う。
きっとあるときに役に立っていた道具や法則は、別の瞬間では役に立たなくなって、極端にいえば放棄しなければならない、そんな瞬間もきっとやってくる。
そのときに、今まで固執していたことへのこだわりを捨てて、新しい場所に自分は移れるだろうか。
少し違う話にはなるけれど、深層学習においても、局所解に陥ることがある。過学習などともいわれる。局所解から脱出するための方法は様々あるけれど、例えば遺伝的アルゴリズムでは「突然変異」という操作で脱出を図るし、深層学習で過学習を避ける際には、偏りのない様々な学習ソースを加えて水増ししたり、逆に、多すぎる真の情報量を削減して整理したりする。
そもそも、この世に果たして真に大局的な解などあるのだろうかと思うし、実は解だと思っていたものはさらに広い視野では単なる局所解であることもあるかもしれない。