しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

Dvorak配列練習169日目: C達成

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前回と比較して、一度本気で練習しようと思うとやっぱり伸びるのは早いものだと思う。単純に練習量に比例してると思う。

ところで前回はe-typing英語のスコアとだいぶタイプウェル英単語のスコアには開きがあったけれど、実は今は同じC。不思議なものだと思うけれど、e-typing英語の方はtheとかisとかよく入力する単語が多くて元々速かったのに比べて、タイプウェル英単語は比較的アトランダムなのが関係してると思う。単語自体の難易度はそれほど高くないのであれだけど、 https://learn.dvorak.nl/ のように単語が難しいとやっぱりそれなりに時間がかかるので、特定のパターンへの習熟度なんだろうな。

Dvorak配列練習159日目: F達成

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ホント久々の練習記更新。だいぶDvorakを本格練習し始めるのに時間が空いてしまって、実質の練習日数は全く159日ではないけれど、Dvorakに触れ始めての日数としては間違ってないし、その間の紆余曲折も含めて書いていければと思う。

ちなみにe-typingでのスコアはCくらい。だいぶ開きがあるのは、よく出てくる単語や文の並びの熟練度が高いためだと思う。

(ところで、スクリーンショットがグレースケールなのは、最近Windowsグレースケールモードで使用しているからで、うっかりそのままキャプチャを撮ってしまったため。ちなみにこのグレースケールモード、かなり余計な色情報がなくなっていろいろと集中しやすくなるので個人的にとてもおすすめ。ショートカット一つでカラーとグレースケールの行き来ができるのですごく便利。)

Dvorak練習に全然手が付かなかった約百日間

自分は、Dvorakを練習しようと思ってかなり長い間、実際にブラインドタッチができるようになってから、そこから練習時間が取れずに伸び悩んだ。

一番大きな理由は、Dvorakにすれば快適だと頭ではわかっているのに、元々Qwertyで十分高速に打てるがために、全くDvorakを練習しようという気が起きなかったこと。ほとんど、単にブラインドタッチをかろうじて維持するためくらいのレベルで、一週間に一回触れるか触れないかくらいでしか練習してこなかった。そりゃあスコアも伸びるはずもない。

また、自分の場合は日本語は新下駄配列で打鍵するので、特にローマ字入力を高速化する必要もなく、今もその必要性はないため、Dvorakは英語専用、プログラミング専用としてしか使わないことも、練習のハードルを上げた。

再度練習しようと思ったきっかけは、新下駄配列のメイン化

さて、そんな自分がどうしてもう一度Dvorakを真剣にやろうと思ったかというと、一番の理由は新下駄配列をメインで使い始めたことにある。

もともと、新下駄配列は、自分はこういうブログとかの長文を、休日や夜に快適にまったり打つためだけにずっと練習してきた。それがある瞬間、Qwertyより圧倒的に楽にかつ高速に打てる閾値を超えて、そこから、普段のチャットなどの高速打鍵もすべて新下駄配列に置き換えようと思い立った。そして今、よほどのことがなければ日本語はすべて新下駄配列で打鍵していて、自然と高速化し、前とは比べ物にならない次元でチャットや文章書きが快適で楽になった。

それに比例して新下駄配列の熟練度はもちろんぐんぐん上がったのだけれど、その一方で、英語配列Qwertyであることの違和感が改めて際立つようになってきた。日本語の打鍵は超快適で高速に打てるのに、Qwertyだとどうしても手が疲れるし引っかかる感じがあってしょうがない。

そこで、一念発起して、一度放置していたDvorak習得を再開することにした。

一度思い立ってからのスコアの伸びはあっという間

そこからはもう、久々にブラインドタッチを思い出すレベルから、今のG~Fになるまでは本当にあっという間だった。自分のなかで、プログラミングなどの本格的な業務は仕方ないにしても、それ以外は極力QwertyをやめてDvorakにしようと思い立って、そこからはホント早かった。

最初は新下駄配列でもそうだったように本当に苦しかったけど、それは数日で過ぎ去って、そこからはかなりすぐ実用的になった。やったことといえばタイプウェルe-typing、あとオンラインのいくつかの英語タイピングサイト、あといくつかのDvorak専用の打鍵トレーニングくらいだけど、やっぱり意志力が一番大きいと思う。

もしかしたら、新下駄配列をメイン化したタイミングで、HHKB+Realforceから、デュアルRealforceの2台体制に変えて、両手打鍵がより快適になったのも大きいかもしれない。同じタイミングくらいで椅子も新調したし、タイピングに向き合う時間が快適で楽しくなったのはあるかも。

雑念がない方が伸びが早い

さて今回久々にタイピング練習をするにあたって気づいたこととして、頭で余計なことを考えるより、頭で考えないで感じたままに指に任せるほうが伸びが早いということ。

なんだろう、実際にそれを言語化するのはとても難しいのだけど、頭で思考して配列を思い出すのではなくて、無意識に指が動くのを身体に任せて、間違ったら間違ったでそのときも全て指や腕に感覚を委ねるほうが、結果的に速く打てるし早く上達するっぽい。

これって多分一種の瞑想状態という気がして、「書く瞑想」とかそういうものに近い状態であるように思う。なかなか思考を捨てて全てを感覚に委ねるというのは、常にできるものではないけれど、ピアノとかもそうであるように、実際ある意味で無駄な思考を切り捨てたほうが、高い集中力とパフォーマンスが出るのは事実であると思う。

一度G~Fくらいになるとあとは楽しい

さて、少し脱線してしまったけれど、ここまでくればあとは自分の好きな場面でDvorakを使っていけるので、検索するときとか、こうやってブログや日記を書いてるときのちょっとした英語表現、あとは少しずつ実践的なプログラミングに応用していけたらと思う。

多分実際の業務のプログラミングで使用していければ本当に伸びは早いと思うけれど、それはもう少し先になるかな。新下駄配列も実際の業務で使えるようになったのは結構後だったように、なかなか時間との勝負の業務で使用するにはなかなか心理ハードルは高い。

ところで一番懸念していたVimとの相性は、調べてみると実はそれほど悪くないようで、HJKLも少し離れてはいるもののちゃんと左下上右の配置になっているし、それ以外も特にそのまま使用できてしまうので、これこそ慣れだなと思った。(でも多分当分はQwertyのままにすると思う 笑)

ショートカットキーは、今はCmdQwerty配列を使っているので、Ctrl押下時はQwertyになるけれど、将来的にはひょっとするとDvorakにするかもしれない。

あとは3DCG系のソフトで、よく回転や移動のキーがQWERTYに並んでいることが多くて、そこだけはさすがに慣れが必要だけど、そういうところこそ適宜Qwertyに戻して使うとか自由にできるので(PauseキーとかInsertキーですぐ切り替えれるようにしてる)、必ずしもすぐに全てをDvorakにする必要はないかなと思ってる。

なので、とりあえず自分が使いたいときにブラインドタッチでDvorakを使うようなベースラインは整ったので、あとはまた数十日使ってみて、また時々熟練度をテストしてみようかな。

やまぶきRで新下駄配列+Programmer's Dvorak

やまぶきR上で新下駄配列とProgrammer's Dvorakを組み合わせて使える設定ファイルを作ったので、Gistにアップ。

実は前から作ってたけど、Dvorakに全然習熟できてなかった時に作っていて設定ミスがあり、今回きちんとチェックして作り直した。

一点注意として、$~の入力がエンターキー付近の記号キーとなるせいか打てないことがあるので、新下駄配列風にFV同時押し(新下駄では)、JN同時押し(新下駄では)にも割り当てた。

JIS配列用だけれど、US配列にもちょっと修正すれば対応できるはず。たぶん。

新下駄+DvorakP.yab · GitHub

gist.github.com

Karabiner-Elements JIS用Programmer Dvorak配列

以前、Karabiner-Elements用のJIS向けDvorakレイアウトを作って以来、JIS用Programmer Dvorak配列は作っていなかったので作成した。

前回と同じく、US版を元にJIS版に書き換えた。CmdQwertyなのも同じく。

drive.google.com

コードはGitHub Gistにもアップした。

programmer_dvorak_cmdqwerty_forjis.json · GitHub

新下駄配列練習213日目: B~Dに落ち着く

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前の投稿から随分間があいてしまったけど、新下駄配列の打鍵スピードはそう大きく変わらず。

普段はタイプウェルを全くやっていなくて、いつもこのブログを書くときに記録用としてプレイしているので、2位・3位の記録が前回の記録であることからも、そう速度が変化していないことがわかる。

ここ数ヶ月は特に打鍵スタイルや使い方も前回とそう大きく変わっていなくて、Qwertyと新下駄配列の両刀遣いなのも変わらず。Slackとかですごく早いレスポンスが求められるような打鍵はQwertyで、そう急がない日常の打鍵から、長文を書くのは新下駄という使い分けも、ほぼ今まで通り。

ちなみに切り替えはやまぶきRですぐオン・オフできて、自分はオン・オフにPauseキーを割り当てている。時々、新下駄+Dvorak、Programmer Dvorakに切り替えたりもするので、そういうプロファイル切り替えがサクサクできるのはエミュレータのありがたいところ。

Dvorak記事に分けて書いたほうがいいかもだけど、Dvorakの習熟はやっぱりというかあまり進んでいない。英文の打鍵も新下駄のように快適にしたいと思って新下駄+Dvorakとして始めて、打鍵自体はすごく快適なので練習自体は定期的に実施中。ただ、急がないときはできるだけDvorakで打つので一応ブラインドタッチはできるものの、かな打ちは新下駄で打ててQwertyでも打てる上に、Vimとの相性問題があるので、実際そんなにDvorakへの移行は進んでいない。

新下駄とDvorakを組み合わせて使えばすごく打鍵は快適だろうなと思ったんだけど、やっぱり思い切ってQwertyを封印するくらいの勢いがないとなかなか移行は難しい。VimDvorakで使えるように訓練しさえすれば、プログラミングをDvorakに移行できるのですごく打鍵量が増えて一気に習熟すると思うんだけどな。

新下駄配列を練習していたパターンのように、休日にのんびり文章を書くような練習ができればいいんだろうけど、休日にのんぴり英文書いたりのんびりプログラムを書いたりって個人的に考えづらいので、新下駄配列のときのようなうまいスイッチができないのが最近の悩みどころ。

蛇足:Dvorak vs Qwerty

ちなみに、新下駄のときはそう意識しなかったこととして、DvorakにするかQwertyにするかでは結構いろんなことで悩む。ショートカットキーはどうするとか、VimのようにQwerty前提で設計されているものはどうやって折り合いつけるかとか。自分はショートカットキーはCtrl押下時にQwertyにすること(いわゆるCmdQwerty配列)で折り合いをつけているけれど、Vimは絶賛悩み中。

そういう意味で、かな配列というのは案外、ローマ字配列のように微妙な部分で悩まずに思いっ切り頭を切り替えることができるので、かえって移行しやすいのかもしれない。

苦労してでもQwertyからDvorakに移行したいと思うのも、やっぱり新下駄配列に移行してすごく快適に日本語入力できるようになったからで、同じように英文でも指のストレスをなくしたいという思いからだったけれど、日本語入力と違って直接入力の場合はQwerty前提で決まっているルールが多く、かな入力のようにスッと切り替えが難しいというのを改めて学んだ。

Dvroakが快適に打てるのは事実ではあって、移行したいと望んではいるものの、新下駄配列に移行したときのように、打鍵数が超減るとか、かなで思考できるというような大きなインパクトがあるわけでもないので、どうしてもQwertyベースのしがらみと折り合いをつける部分ですぐQwertyに戻してしまう。

特にVimは自分にとってかなり長い時間をかけて習熟して手に馴染んでいるだけに、これをQwertyベースからDvorakに移行するのはとても時間がかかりそうな気がする。(VimVim本体だけじゃなくて、Visual StudioVSCodeVimプラグインなどであらゆるところで「Vim化」して使っているので、キーバインドの変更に手間がかかるという足枷もある。)

コロナ禍での外部刺激の変化と行動の変化

最近自分は毎日Notionに日誌のようなものをつけていて、そこで日々の思考整理や思考実験をしているのだけど、ちょっと最近のコロナ状況下で、自分が気付いていない間に変わった思考原理の変化があったのでメモしておきたい。

先日自分は大学の卒業制作を見に行く機会があったのだけど、ふとそのことについて日記をつけていると、こういう展示を見に行くという行為自体がすごく久しぶりなことだということに気づいた。

思ってみれば2019年とその前は、多くの展示会が身の回りであっていて、アート展だったり発表だったりをよく見に行っていたし、設営の手伝いに行ったりもしていた。思ってみれば今年はそういう機会はすごく少なくなってしまった。

そのことで、自分自身の行動原理自体、大きく変わっていると思うのだけれど、実は気付かない間に、そういうものから受けていた刺激によって触発される、自分の興味の方向性自体もだいぶ変わっているんじゃないかということにふと気づいた。

自分は今までアート展を見たりした後に、触発されていろいろ書籍を買ったり、自分自身の創作活動のベクトルを少し変化させたりしてきた。でも今年はそういう機会自体が少なく、どちらかというとSNSの情報や書籍の情報によって自分の行動を決めていたように思う。

そういう意味で多分一昨年までと最も大きく変化したのが外国人との関わりで、今までは直接外国人と触れ合う機会が多少はあったのが、今はSNSやインターネット、書籍を通じてだけコミュニケーションをとっているなぁと思う。そうやって考えている最中に気付いたのだけれど、実はそのこと自体は今も前も全く変わっていなくて、コロナに入る前もGithubやArtStation、SketchFabなどを通じて外国人と交流していたことに変わりはないし、その過程で自分は正直、外国人と日本人を区別することも、何言語でコミュニケーションをとっているかすらもあまり意識することはなかった。自分はそのこと自体、考えてみるとすごく驚異的なことだと思っていて、いかに情報通信技術がもともと高度な水準にあって、それに下支えされてこのコロナ状況下のコミュニケーションができているのかということに今更気付かされた。

この観点で、自分たちはホントに知らず知らずのうちに不思議な環境に身を置いて適用して生きているんだなと思った。特にSNSWebサービスの進化はすごく早くて、そういうサービスが出たときはいろいろと意識して選択したりしているものの、一度使い始めると空気のような存在になってしまって全く意識することがなくなってしまうのだなと、今回思考整理していて改めて気付かされた。

なので、一見コロナの影響でインバウンドが減って、外国人との交流は全くなくなったかのように思ってしまっていて怖くなったけど、実情は全くそういうことはないし、自分個人的には今まで以上に今年は外国語についての興味はすごく高まっていて、例えば今年になってやっと中国語のピンインが少し読めるようになったりと、本当に知らず知らず外国との交流はあるし、もうもはや外国と国内を区別して考えることは全くといっていいほど、自分自身についてはなくなっているなと思う。よく考えたらコンビニとかにも海外産の商品や原材料はすごくたくさんあるけど、もうほとんど意識することがなくなっているのと同じことかもしれない。

こういう、外国と日本の区別をほとんど自分がしなくなった背景には、身の回りに実はコロナ状況下でもたくさん在日外国人がいて、その人たちがすごく日本語も母国語も達者で、日本人と全く区別することなくコミュニケーションをとれてこれてきたというのも大きい気がした。正直いままで書いたようなことを考えるまでは、その人たちの存在について、全く日本人と区別して考えてこなかったし、去年と今年のような異常な状況下でもそうした在日外国人の人たちが普通に身の回りにいてくれるというのは、とても有り難いことだなと思った。

……ということで、ちょっと長くなったけど、コロナ状況下で自分を取り巻く環境は様変わりしつつも、実は形を変えて今までのような刺激もコミュニケーションも存在し続けているんじゃないかと思う。もちろんその変革によって変わっていくこともたくさんあると思うし、自分のなかの外国人と日本人の区別の希薄化のように、忘れられていく感覚もあると思うけど、意外に人間って器用に環境に適用して生きている生き物なんだなと思うので、そんなに不安に思うことは実は少ないのかもしれない。

新下駄配列練習159日目: B到達

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さて、最近はもうQwertyを英文を打つことにしか使わなくなって久しいのだけど、久々に速度を測ってみたらSpeedが平均180くらいになっていて嬉しい限り。

ここ一ヶ月でまた速度が伸びて、こんなに文字通り自分の右腕として新下駄が馴染んでくれるとは予想してなかったので嬉しい。

最近はもう仕事でメモをとるときもメッセージを返すときも何も迷わず新下駄配列で打鍵して、よほど緊急で返さないといけないものだけQwertyで打っているので、その常用度合いが自然と速度面にも出てきた感じだと思う。

新下駄についてはこのブログで既にいろいろ書いているのであえて書くことはあまりないのだけど、改めて、思考を日本語でしてそれをそのまま打鍵することのできる楽しさを実感している。

スマホではフリック入力があったので随分前からそうなのだけど、パソコンの打鍵ではそうではなくてあくまでローマ字打ちをしていたので、それが自分にとっては長い間小さなフラストレーションとなっていて、自分自身を自然と文字入力から遠ざけていた。

でもかな入力(新下駄配列)を常用するようになってから、デュアルキーボードを導入したことも相まって本当に思いのままに自然体で文章をパソコンに向かって書くようになって、大きく自分と文字入力の関係性は変わったと思う。

それまで自分の思考の多くは、どこにも残されることなく、整理されることもなく、ただただ消えていくだけだったものがとても多かったけれど、毎日自然と文章入力に向かうようになって、自分の思考はすごく整理されて感じていて、とても毎日穏やかな気分でいれるようになったと思う。

また、その思考整理ツールとしてNotionに出会って、全てをNotionに書いていくようになったのも大きいと思う。自分がかな入力に真剣に向かうようになってから、そうした自分の哲学を支えてくれる素敵なツールや作品、書籍に自然と出会えるようになって、とても嬉しいと思う。

……さて、ちょっとポエムっぽくなってきたので駄文はこの辺にするとして、とにかく自分が自分を自然に表現するために使っている道具が、慣れていくにつれて効率よく高速に使えるというのは本当に心地よい。

最近夜一人で文章を打っている時間が一番幸せな気がしていて、その時間に多くの大事な決断をしてきたので、やっぱり自分が一番向き合っているものを改善していくというのは大切だなと、改めて思う。最初の一週間と一ヶ月が一番辛くて何度も使用を中止しそうになったけど、そこで練習をやめなかった自分に感謝したい。