しさくろく

試作録、思索録、詩作録、…etc

Karabiner-Elements JIS用Dvorak配列

(追記:Karabiner-Elements JIS用Programmer Dvorakこちら

何番煎じなのかわからないけど、なかなかちょうどいいのがネットで見つからなかったので、US配列用のものをいじって自作。CMD-QwertyなのでCommandキーのショートカットはQWERTYとして動く。

drive.google.com

コードはGitHub Gistにもアップした。 dvorak-cmdqwerty-forjis.json · GitHub

以下の配列をJISで打てるようにしたもので、唯一違うのはバックスラッシュを「む」のキーに割り当てた点。Macには漢字キーがないので、そこだけは再割り当てする必要があった。

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Dvorakは毎日少しずつだけ練習していて、かな配列ほど必要性がないのでまだそれほど上達していないけれど、手に馴染む感じがしたらQWERTYと置き換えていきたいなと思う。そのときはVimをどうしようか悩むけど、しばらくはQWERTYとスイッチしながらしか使わなそうなので、そのときになったら考えよう。

新下駄配列練習131日目: 配列の奏でるリズム

日付的にはもうクリスマスイヴ、正確にはクリスマスイヴイヴの深夜だけど、夜にふと新下駄配列でNotionに向かって淡々と文章を書くというのが最近すっかり習慣となってしまった。

夜になにかするというのは、人間の生活リズム的にはあまり良くないのかもしれないけれど、なんだか静かな夜の時間にカタカタとキーボードの音だけ響くのは個人的にとても好き。

ただ、寝ている妻にはちょっと申し訳ないので、最近キーボードの下にクッションを敷いて防音対策はするようにした。静電容量式キーボードは比較的静かなはずだけど、机への衝撃音はそこそこある。

新下駄配列のリズムと打鍵音

最近毎日新下駄配列で入力していて、一番心地よいなと思うのが、やっぱり打鍵のサウンド

QWERTYのときは、自分が打っている文章と打鍵音はそんなに関連性がなくて、ただカタカタと忙しなく打鍵音が響くという感じだった。

新下駄配列になってからは、自分の頭で考えている日本語のモーラとサウンドが完全に一致するのが、とても心地よい。

といっても完全に一致するかというとそうでもなくて、変換候補を選んでいるときのスペースキーだとか、ミスタイプしたときのパックスペースだとかはあるけれど、それでも、「指が喋っている」という感覚はものすごくある。

新下駄配列に落ち着く前、親指シフトでそれを期待して練習していたけれど、自分の練習不足でその領域には到底及ばなくって、中指シフト系に移ってから今更それが体感できるというのも、ちょっと不思議な感じもしなくもないけれど、新下駄配列を選んだときにそこはこだわって選んだので、当然なのかもしれない。

この同時打鍵のリズムのために、速度的に犠牲になっている部分はひょっとするとあるのかもしれないけれど、自分はこの打っているときの心地よいリズム感は何者にも代え難いと思っている。

今の打鍵スピードや熟練度では、同時打鍵が続くような単語がくるとちょっと辛かったりはするし、そこで打鍵スピードは当然落ち込んでしまうのだけれど、それはきっと毎日の鍛錬と推測変換でどうにかなると信じてみる。

それよりも、ずっと打っていて心地よいと思えるのが重要かなと思っていて、その部分の個人的に大きな要素が打鍵のリズムなのかもしれない。

でもひょっとしたらリズムを感じられるのは速度がCランク程度の今だけで、高速打鍵すると全然わからなくなったりして……。

とはいえQWERTYのカタカタと軽快に高速で聞こえる打鍵音も好きで、プログラマーが青軸や赤軸で高速打鍵するのが響くあの感じもなかなか捨てがたいので、この辺はホント好みなんだろうなと思う。

耳に聞こえる打鍵音としての新下駄配列は、ずっとQWERTYを使ってきた自分としては確かに異質なものではあって、不思議にきっかりとしたリズム感があって、どっちかというとコトコトと一定のリズムを刻んでいる感じは、他の配列ではどんなふうな音がするんだろう。YouTubeとかで聴き比べでもしてみようかな。

自分はいまデュアルキーボードを使っていて左右キーで打鍵音がやや違っているので、後々は揃えるともっと美しく響くのかもしれないと思ったり。いつか机がもっと広く取れたら、贅沢にRealForce2台とかで打ちたいな。

新下駄配列練習128日目: いつの間にかC到達

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さて、前の投稿で新下駄配列の日常的な常用を始めたと書いてから、一ヶ月と少し経った。

常用して以来、あまりタイピングゲーム自体やらなくなってしまったのもあり、数値を気にすることも減っていたのだが、久々にプレイしてみたらいつの間にかSpeed 160くらいが平均的に出るようになっていた。

体感的にも、普段から利用できるというレベルすれすれというか、急ぐときはローマ字入力に切り替えて使うものの仕事でも普段も使用しているので、スピードは上がったなという感覚はある。

けど最初からあまり速度的なことには興味がなくて、あくまで仕事でタイピングする方法とは違うのんびりまったり疲れない長時間タイピングを目指して新下駄配列を利用していた身としては、Speed 130で高止まりしていた速度がここに来て高速化したのは意外だった。

配列作者は相当高速に打鍵しているのを知っていたので、ポテンシャルはありそうだと思っていたものの、個人的に高速化に興味がなかった分、速度に限界がありそうな気がしていたので、やっぱり使えば使うほど速くなるのだなと改めて実感した。

元々、仕事ではローマ字入力、家では新下駄配列と分けて使うつもりでいたので、毎日使っていればそりゃあそろそろ上達もしていくかという感じだけれど、最近は思考自体少しずつ新下駄配列が頭に浮かぶ頻度も増えてきている気がするので、元々速度に興味はなかったものの、少しずつ手足のようになっていくことは喜ばしい。

打鍵時の課題と、薙刀式の考え方のミックス

やはり速く打てるように慣ればなるほど効率がよくストレスがないのは明らかなので、一応自分の速度面での課題を分析してみると、やはり拗音拡張の暗記と、もう少し左右キーの入れ替わりミスを減らすことだろうと思う。

出現頻度の低い文字はなかなか高速打鍵が進まないのは、清濁同置の配列の特に難しい点だなと、練習を開始して4ヶ月も経った今ですら思う。新下駄配列の高速化には、他の配列よりも練習量が物を言うという気が、最近とてもする。

これを早く是正するには新下駄配列用の練習文字列のようなものを訓練していくのが早道だと思う。けど、そんなに焦ることもないし、そのために時間をとるのはとてももったいない気がするので、気ままに様子を見てみようと思う。

…ところで、最近少し新下駄配列にほんのちょっとのだけ改良を加えて使っていて、それが薙刀式の「点と丸を確定入力にする」というのと、改行キーをエンターキー以外にも割り当てること。

というのも、新下駄配列で入力しているときのほうがなんだかエンターキーに手を伸ばすのがやや辛い気がしていて、理由はわからないけれど、とりあえずエンターキーを入力する回数が減れば問題ないだろうという考えから上記の改良を加えてみたところ、個人的に随分と手が楽になった。

肩の痛みがあったときにも、ダブルキーボードを導入したら俄然良くなったのと同じように、こうして少しずつ問題点を一つ一つ余裕のあるときに直すのは良いなと思ったし、薙刀式のように補助キーも含めて配列をトータルでデザインしていくのは大切なのかもしれないと改めて気付かされた。

なかなか他のことに集中していると、そういう違和感に気づくことが減ってしまうのだけれど、マインドフルネスを心がけつつ違和感にもっと気づくことができるようにしていきたいなと思う。

一旦初心を振り返ってみる

さて、いま一度自分が新下駄配列、もとは薙刀式や親指シフトを練習し始めた最初の動機である、「休日もパソコンに向かって思索を練ったり文字書きする」という目的が達成されたかをいま一度考えてみると、相当に達成されていると思う。

自分が休日にはパソコンに向かうことがなかった理由を当時分析して、文字入力するときのストレスをトコトン減らすということから、かな配列をいろんな種類試してきて半年近く。その過程で、休日にかな配列練習のためも含めて随分パソコンに向かうようになって、個人的にはよかった。

なかなか自分の普段考えていることとか、ブログにも書くことがないその日の小さな気付きとか思いとかを、一つ一つ大切に記していきたいなという最初の動機は、今ではNotionや新下駄配列、ダブルキーボードなどのおかげで相当に達成されて来ている。

ブログの更新というのは特に目的には入ってなかったものの、副次的な効果としてこうやって思いを自分のメモにとどまらず残していけているというのは良いことかな。

もちろんその分だけ今まではその時間にやってた何かが消えているということではあるのだろうし、自分の目的の動機以上にかな配列に今年は時間を割いてしまったのは否めないけど、とても充実していて良い時間だった。

……蛇足にはなるけれど、そもそもかな入力に触れた最初のきっかけは、亡くなった祖父がかな入力と一太郎が好きだったなというのをある日思い出して、それを真似して見たら案外楽しかったというのが最初のかな入力の導入のきっかけだった。かな入力を最初に教えてくれたのも祖父だったように思う。

振り返ってみれば、祖父がかな入力と一太郎を使って書いていたのは自伝のようなものだったと思うので、自分がかな入力に向かう動機というのは、自分の時間や思考を大切にしたいという意味で、そのまま遺伝しているのかもしれない。

Notionの設計・哲学を考えてみる

ここ1ヶ月ずっとNotionを使っていて、先日はNotionの勉強会をちょっと覗いたりした。

wpzoom.connpass.com

そこで改めてNotionにできることの幅の広さを体感したのだけれど、なぜNotionは一見シンプルに見えて高機能なのか、今回は設計の観点から見てみることにする。

全てがページとデータベース。データベースは実は全てページ。

まず一番の特徴はやはりこれ。Notionでは大きく分けてページデータベースという概念があるが、カレンダーやタスクもデータベースで、あくまでビューの一種に過ぎず、実は広義ではデータベースもページである。

  • ページ
  • データベース
    • テーブル
    • ボード
    • カレンダー
    • タイムライン
    • etc

図で表すとこんな感じ。

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データベースはビューを切り替えて見方を変えられる

繰り返しになるが、テーブル・ボード・カレンダーなどはビューの一種なので、全ては共通していて、いつでも見た目を切り替えることができる。ここがNotionの素晴らしいところ。

例えば最初はテーブルにタスク一覧を書いていって、あとからボード表示に切り替えたり、カレンダー表示に切り替えたりすることができる。同じテーブルを別のビューにして、ページにインライン表示することも可能なので、リストとしてタスクを表示して、ガントチャートとしてタイムライン表示したものを別々に表示させることもできる。

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ちなみにデータベースはリレーションを持つことができて、他のデータベースを参照することができる。例えば、商品リストから商品を参照したりという使い方もできるし、自分自身への参照を作ることで、サブタスクや関連タスクみたいな使い方をすることもできる。

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この時点で、まるでエクセルとかMySQLみたいだなと思ってしまうのだけれど、まさにその通りで、名前の通りデータベースなのである。そういう意味ではAirTableなどによく似ている。

ただ、複数のデータベースの値を複雑に混ぜるような結合演算とかはできないし、Excel方眼紙のようにセルを自由に制約なしにいじれるようなことはない。

一方で、関数は使える (SUMなど) し、簡単な計算や変換は自在に可能。また、各種フィルタをかけることができるので、自分に関係のあるデータだけ表示させたり、あるプロジェクトに関係するものだけを表示させたりもできる。

すべてはページ、ページにはコメントができる

2021/09/02追記: 執筆時点では「すべてがページ」だったはずなのだけれど、仕様が変更されたのか、データベースとページは別物になったよう。仕様としてどうなのかは確認したい。 )

さて、データベースの形がなんとなく分かったら、あとはページだけなのだが、ページはWikiのように構造的に文章を書いていくことができ、他のテーブルをインラインで表示することができる。言ってしまえばこれだけ。

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Wikiなので他のページへのリンクを貼ることができ、YouTubeなどを埋め込み表示させたり、Webサイトをカード式に表示させることもできる。

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テーブルをインライン表示できるというのがとても強力で、手帳のようにカレンダーを表示させつつタスク一覧を表示させるということができる。

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また、ページにはコメントができるので、気になったことはそこで議論していくこともできる。

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ページ × データベースの最強タッグ

さて、先程 データベースもページ と書いたが、実はデータベースの一つ一つの行や、そのデータベース自体もページである。

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ということは、データベースのアイテムにはコメントを書くこともできれば、ページとしてWikiを書くこともでき、インラインデータベース表示を使うこともできる

これがNotionのすごいポイントで、例えばタスク一覧としてテーブルを作ったならば、そのタスクについてのコメントを書いていくこともできる。例えばプロジェクト一覧のテーブルには、書くプロジェクトのタスクやカレンダーをそれぞれ記載することもできる。

Wiki・コメント・データベースが全て階層的にどんどん使っていけるので、イマジネーション次第でどんな使い方にでも応用できるし、あるページ・データベースのからテンプレートを作れるので、別のページにどんどんそのテンプレートを適用していくことができる。

これが、Notionがどんなことにでも応用できる理由で、「全てがページとデータベース、データベースはページという」シンプルな特徴の凄まじい応用性を垣間見ることができる。

装飾をつけていくのではなく構造を作っていく

Notionのもう一つ大きな特徴は、基本的に装飾はあまりいじることがなく(一応変更もできる)、構造を変更していくということ。

ここがWordやExcelとは大きく異なるポイントであり、ページとデータベースに共通している特徴である。

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例えば、MarkdownやHTMLといった言語は、基本的に構造だけを記述して、スタイルはCSSで書いていく。それと全く同じ考え方で、ページやデータベースには構造だけを記述して、見え方はNotionが素敵にデザインして表示してくれる。

Notionはダークモードとライトモードに表示を切り替えることができるのだけれど、表示切り替え時にこうした特徴が生きてくる。装飾ができないといっても、太字や斜線などの意味的要素は使用できるし、色分けなどは可能。

ちなみに、データベースがいろんなビューに切り替えて表示できるという部分にもこの哲学をみることができる。

構造とビューの分離という点が、Notionのデザインの一貫性を保っている部分であり、複数人で使っても美しく保てるポイントなのかもしれない。

フォルダは存在しない

なお細かい部分だが、Notionにはフォルダはなく、全てがページ。この点もWikiに似ている。

階層を作っていくときは、ページの下に新しいページを作るのだが、箇条書きで適当に書いていった文章の一部を、あとからページに変更することもできる。(Turn Into Page機能)

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このTurn Into Page機能は非常に便利で、例えば箇条書きで何かを書いていると階層が深くなって困ることがあるが、そういうときにページに変更するととても便利。また、データベースを利用することもできるので、あまりに箇条書きの要素が多く、分類していきたくなった場合などに便利だ。

まとめ: シンプルな設計の掛け算の柔軟性

さて、Notionの設計を早足でみてきたが、基本的な構造はこれ以上でもこれ以下でもない。とてもシンプルだ。(今回はチーム機能については解説していないのでまた次回。)

あえて補足するならば、ビューについては紹介しなかった写真ビューなどいろんな種類があり、Wikiの文書構造もチェックボックスや開閉箇条書き (Toggle) など、覚えきれないほどの種類がある。

Notionはベースの設計は非常にシンプルだが、その上に乗っかる要素は様々な種類があり、それらは相互に変換可能 (Turn Into機能) で、データベースであれば後からフィルタリングができるというのが素晴らしい。

応用可能な範囲が非常に多いため、使う人やチームによって全く違う設計が可能という点が面白い。ただその表現力の分だけ、新しくNotionに参加する人にとっては、学ぶべき要素は多いかもしれない。

似たような機能も複数あったりすることから、チームで使う場合はルールを決める必要もでてくるかもしれないが、まず自分の慣れたやり方から作っていくことができるというのも、Notionの柔軟性かなと思う。

ACTH分泌不全症 闘病記 (2) ― だるい日の過ごし方

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闘病記を書こうと思って始めたブログ、だったけど。

さて、もともとこのブログは闘病記を書くために作ったようなものだったのだけれど、蓋を開けてみたら全然闘病記書いてなくって、予想外に日本語入力とかタスク管理のことばっかり書いてて自分でも意外。

(ちなみに今の仕事では基本的にUnreal EngineとかUnityとか、TouchDesignerとかみたいな、いわゆるリアルタイムグラフィックエンジンに向き合っているのだけれど、そういうことこそブログに書いて発信していけばいいのになと思いつつ、ブログはなんとなくオフモードというか、趣味でやってることを書きたいので、仕事でやってることはモチベーション的になんだか…)

ちなみに闘病記はいつも日記帳とかNotionとかに書いているのだけれど、いざ公開しようと思うとつい気が引けてしまって、なかなか公開に踏み切れなかったりする。

けどまぁ自分自身がどういう風に病気に向き合ってるかも、たまには発信してみてもいいかなと思ったり。

だるい日に、あえてだるく過ごしてみると…

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今日は、自分の持病の特徴である「だるさ」にどう向き合っているかについて。

自分の場合、基本的にはその日の身体負荷に対して服薬が少ないとだるくって、ちょうどいいと元気で、多すぎると動悸がしたりする。

基本的にはだるさの種類を自分でよく見極めて、薬を増やして対応している。というのも、急性副腎不全症状が起きて倒れたりなんかすると大変なので、そういう最悪の状態が起こりかねないときは躊躇せず薬を増やす。

ときどき、特に仕事で無理してるときとかは、自分の状態に気づくのが遅れて、バスで移動中にめっちゃしんどくなって慌てることも多いので、常にマインドフルネスであることを心がけている。

…けど、時々、今日はだるいけど薬増やさなくても大丈夫そう、とか、単に仕事で頑張りすぎてだるいだけだから、ゆっくり過ごしてみようとか、思うときがある。

というのも、あくまで個人の感想だけれど、だるさって、何か頑張ったことに対する代償だと思っていて、休みたいって身体が思っているサインだと思うので、例えばさっき書いたみたいに状況的に飲まないとヤバいってならない限り、自分は基本的にベースの量を守って過ごすようにしてる。

主治医の先生は、わからないときは増やしなさいってアドバイスしてくれるし、自分も外出先とか、家で一人で過ごしてるときに起こる体調不良の場合は、基本躊躇せず薬を増やすようにしているのだけれど、実はそれなりに副作用もあるので無闇には増やさないようにしてる。

一度思い切って増薬してしまうと、少しずつ減らさないといけないので、その間はちょっとオーバーヒート気味になるのであんまり好きではない。活動しすぎたり、動悸がしたりするし。

(蛇足だけれど、自分がタスク管理に妙にこだわるのは、服薬管理がシビアだからだったりするかもしれない。)

だるい日の効用

で、さっきの話に戻ると、ときどき、だるいけどだるいまま過ごしてみようかなっていう日がある。だるさに向き合ってみようかな、と。

もちろん、高熱が出たりして、いくら薬を増やしてもだるさに抗えないときもある。

そんなとき、自分が好きな本の、風邪の効用という本をよく思い出す。

風邪の効用 (ちくま文庫)

風邪の効用 (ちくま文庫)

この本は自分がバイブルのように何度も読み返している本で、ときどき改めて読んではいろんな発見がある。

最近は減ってきたけど、自分はやっぱり相対的にだるい日が人よりも多いので、だるい日の過ごし方をどうすればいいか、何年も悩んできた。

そういうとき、Amazonで見つけたこの本に感銘を受けて、この本に出会ってからというもの、できるだけ何もしないようにしてる。

できる限り、ぼーっと、自分の身体の状態を感じながら、たまにほんのちょっと漫画とアニメをチラッと見て(それくらいは許して…)、身体をちょっとマッサージして寝る。余裕があるときはストレッチしたり、少しだけ歩いてみたり。

つまりは、だるい日に無理に元気に過ごそうとするのではなくて、だるい自分を認めつつ、今だけなんだから、あるがままを受け入れて過ごそうっていう感じ。

そうすると、とっても早く回復するような気がする。

これはだるい日に限らず、マインドフルネスを心がけて過ごした日は、すごく身体的に充足している気がするし、その翌日もぜんぜん違う。

それに気づいてから、自分は迷ったらマインドフルネスに過ごすようにしていて、それ以来、前に比べて随分調子の悪い日が減ったと思う。

(それと、だるい日にできるだけ向き合うことで、なんとなく、自分自身の精神的なバランスが取れてるような気がする。無理に頑張ろうとしなくなるというか、そういう日があることでなんとなく身の丈を弁えられるというか。)

マインドフルネスが一番難しいと思うこのごろ。

ただ、マインドフルネスであることは、自分自身に一番効果があると思う一方で、一番実践が難しいことだなって思う。

マインドフルネスであるためには、目の前にある楽しいこと、いわゆる一時的な快楽にすべて目を瞑らないといけないし、何より、何もしないというのが一番難しい。つい気を緩めるとすぐマインドフルネスではなくなってしまう。

FacebookとかTwitterを眺めていると、楽しそうなことなんて山程目の前に現れるし、すべてが広告というか、知らずしらずのうちに何か買っちゃってハマったりしちゃう。

じゃあSNSを開かなければいいんじゃないか、と思うけれど、なかなかそう簡単にはいかないもので、SNSを閉じれたとしても漫画が目の前にあったり、テレビがあったりと、「今ここにだけに集中する」ということは、思いの外難しい。

そこで、自分はマインドフルネスをちょっとだけ拡大解釈して、皿洗いしたり、買い物したり、お掃除したり、そういう、「今やっている行為」に集中することができたら及第点だと思うようにしている。

けど、あんまりにそれを拡大解釈するとゲームとか漫画もアリな気がしてきてしまうので、個人的には文字情報等で別の世界観が付加される行為はナシかなと思ってる。でも、ある意味仕事とかで思い悩んでうーんと思考に詰まっている状態よりは、相対的にマインドフルだと思うので、マインドフルネスにも段階があるのだと思う。

もちろん状況によっては仕事のことを考えてる方がマインドフルネスだったりすることもあると思う。

(ちなみにその時々でできる「今に集中できる度合い」で、ストレス度合いがわかったりするらしい。)

今の自分を大切にしていればOKルール

ということで、自分はマインドフルネスがどうしても難しい、っていうくらいストレスフルなときは、自分は、目の前にある現実から逃げなければOK、今の自分を大切にしていればOKというマイルールを設けている。

例えば、漫画を読んだりすることが、そのときの自分に対する現実逃避だったら、マインドフルネスではない状態だとする。でも、仕事に一杯一杯になる方が今の自分をないがしろにしてしまうようであれば、漫画を読むことの方がマインドフルなので、場合によっては漫画もOKといった具合。

つまり、今いる自分を大切にしている行為であれば、OKっていうマイルール。

あくまでマイルールなので、ほんとにマインドフルネスなものとは必ずしも言い切れないけれど、でも、これが結構ストレスフルな日には役立ったりする。

やろうとしていることを、このマイルールの天秤に一度かけることで、どっちが今の自分にとって大切かなと、一瞬だけ間をおいて考えることができるし、自分は、そうやって一度間をおいてみることが大事かなって思う。

おまいう、って感じだけど…

さて、だいぶ脱線したけれど、自分がだるい日をどんな感じで過ごして、できるだけだるい日がないようにするために心がけていることはこんな感じ。

だるい日は、無理に元気に過ごそうって思うんじゃなくて、あるがままを受け入れて、これが自分なんだなーと思いつつ、だるく過ごすのが、今のマイブーム。

…といっても、人よりもだるい日が多い自分が、こうすればいいよって書くこともなんだか自己矛盾というかナンセンスな気もしてくるので、あくまで参考程度に。

自分も、こうやって毎日マインドフルネスに過ごしていれば、いつかは持病が治ったりしないかなーなんて、淡い期待を持ってたりするけれど、どうやら難病というのはそんなに甘くないみたい。

けれど、こうやって自分なりの対処法を書くことが、未来の自分にとってもそうだし、何かしらのヒントになるといいなって思う。

新下駄配列練習92日目: YouTubeに打鍵動画を上げてみた


新下駄配列で打鍵する様子 (キーハイライト付き)

さて、まだまだ練習中の身ではあるものの、一旦の区切りを付ける意味で、YouTubeに新下駄配列で打っている様子を上げてみた。

自分で見てもたどたどしくて、結構打ち間違いが多くて恥ずかしい限りではあるものの、新下駄配列というものがどういうものなのかを知ってもらうには十分雰囲気がわかる内容に仕上がっているかなと思う。

入力の様子を可視化するために作った自作ツール

github.com

ちなみに、この動画を作成するにあたって、複数あるシフト面をわかりやすく可視化するためのツールとして自作したものがこれ。本当は手元にオーバーレイする形で可視化したかったのだけれど、シフト面が多いのでさすがにオーバーレイすると分かりづらそうだったので、シフト面を分けて可視化するかたちをとった。

ちなみにこのツールは、ソースを見てもらえばわかるけど単純なhtmlファイル1つになっていて、特にエミュレータに依存する作りにはなっていないので、他の入力方式を可視化するのにも使えると思う。

もう少しミスタイプを減らさないとなぁ…

それにしても、やっぱりこうやって動画になるといろいろと赤裸々になるもので、自分がまだシフト面のすべてを暗記しきれていないことも露呈するし、左右のキーをよく逆に打ったり、拗音拡張を打ち間違える様子もわかる。

よく出てくる組み合わせについては段々と熟練度が上がっていってはいるものの、やっぱりあまり入力しない単語は依然としてミスタイプが減っていないので、精進あるのみだなと思う。

…とはいえ、PC版のフリック入力といったノリで使うために始めた、一種の気晴らしとしてのかな入力なので、また気が向いたときに気ままに練習するスタイルは変わらないかな。

それでこそ続いていってる感もあるし、「楽しく入力するための」かな入力なので、ぼちぼち継続していけたら嬉しい。

…とはいえ、やっぱりスマホフリック入力みたいに速く入力できるようになりたいなという思いも当然あって、今の、休日に長い時間かけてゆっくり書くための入力方式から、やろうと思えば高速にも打てる方式として、ステップアップしていけたらなと思う。

最近その敷居として感じるのは、当然練習不足のミスタイプもあるけれど、両手同時打ちが結構スピード的にネックだなと思い始めてきた。

これは親指シフト薙刀式を試しに練習していた頃に感じていたことと同じ悩みで、特に中指・薬指シフトが連続する打鍵はやっぱり辛い。

とはいえ、これは自分が速度面よりも長時間打鍵を優先してこの入力方式を選択した結果としての、「指がしゃべる」入力方式、つまり1モーラ1打鍵にこだわったがためのトレードオフなので、まあ仕方がないかなとも思う。

多分ミスタイプがなくなってきた頃に、本当の入力速度がわかってくるだろうと思うので、それこそ気長に待ってみようかな。

新下駄配列練習91日目: すっかり生活の一部となってきて、次のステップへ。

最近仕事で大きな納品を一つ終え、心に随分余裕が出てきた気がしてきたので、また以前のように、3DCG制作や日本語入力、サイクリングなどをする毎日が再開した。

というか本当は納品時期であろうが関係なく、自分の過ごしたい日常が送れたり、やりたいことをやっていられるのが健全な状態なのかもしれないけれど、自分の場合は結構仕事と趣味が同一だったりするし、一点集中で乗り切るタイプなので、まあいいかと思ったりする。

繰り返す、忘れる、定着する。

さて、ここ数日で改めて新下駄配列での日本語入力を再開するにつれて、やっぱり新下駄配列を習得しておいてよかったなと思えてきた。やっぱり以前とはいつの間にやら入力速度も表現の範囲も全然違ってきていて、ローマ字入力とは全く別の次元にこの文章制作が進んでいきそうな予感がしていてとてもワクワクしている。入力速度的にもまだ充分に余力がありそうな感じがあるし、まだフリック入力ほどではないにしても、随分と自然にキーボードを使って言葉を表現しているような感じがしてとても良い。

自分はこういう暇な時期に何をするかについて、いつもミスチョイスをしてしまっているような気がしているけれど、新下駄配列の習得についてはあながち間違いでもなかったんじゃないだろうかと最近思えてきた。

練習していた最初の数日から数週間は本当に苦痛でしかなかった。けれど、何週間も覚えては忘れ、覚えては忘れを繰り返すたびに、なんの意識もしなくても自然と打つことが出来るレベルにだんだんと到達してきた。今でもたまに打つときに考えないといけないキーが未だに存在してはいるものの、とても自然体で、ただ文章を打つそのことだけを考えて打てるように成長してきた。

やっぱりこういうものの習得に一番大切なのは何度も忘れることのようで、高校生のとき熱心にピアノを練習していた毎日がそうだったように、数日どっと練習して忘れ、数日後にふと思い出してまた集中して練習する、というサイクルを経ていくことで、脳が自然とシナプスを形成してくれて、だんだんと自然体で何も意識しなくても出来るようになってくるらしい。

自然体= 自然と気づきが増えて、何かを引き付ける

そもそも、自然体で文章が打てるってどういう状態なんだろうなって、時々考えることがある。スッと、考えた表現が高速で打てるのが自然であるのか、それともどこも力まずに長時間ずーっと打ち続けていられるのが自然体であるのか、未だによくわかってはいない。ただ少なくとも、今こうやって、たまに仕事でもないのにパソコンに向かえていて、こうやってのんびり気ままに思うがままに文章を打ちまくっている。この事自体が一番の自然体であるんじゃないかって、それはもはや疑いの余地もないと思う。

3DCGだとか、プログラミングだとか、彫刻だとか、自分がやろうとしたことは他にもたくさんあったはずなのだけれど、結果的に一番仕事に役立っているのがこの文章入力であるし、最近では仕事でも普通に新下駄配列で入力する場面も多々ある。

一番多いのはやっぱり自分の思索を文章に打つことで整理している瞬間で、この文章も最初はブログで公開するつもりではなく、Notionに書き殴っていっているうちに自分の思考が整理されてきて、自然とこの文章はブログに載せようかなと思ったに過ぎない。

少し脱線するけれど、自然体で何かをやっているときって、自然と今の自分に必要なものを引き寄せる気がしている。例えばWorkFlowyもNotionも、新下駄配列の練習の日々がなければ決して出会うことはなかっただろうし、それが今一番自分の仕事に役立っていて、結果的に自分の最も大切な基盤になっている。

ダブルキーボードだってそうで、そもそも日本語入力にこれほどまでに意識を向けることをしなければ、多分キーボード自体を根本的に見直そうとはならなかったと思う。

そういう意味で、やっぱり自然体でいれる瞬間が一番自分を前向きにしてくれて、自分に一番必要ななにかを勝手に引き寄せてくれる。それって結局はマインドフルネスであるということなんだろうと思う。

マインドフルネスであれば、自然と悩みは解決していって、必要なものは勝手に引き寄せられてくる。これは自分のここ最近の座右の銘のようなものになりつつある。

ちなみに速度的には大して速くなっていない

ただ、入力自体には随分習熟してきたような印象がある一方で、入力速度自体はあまり速くなっていないし、ミスタイプも依然変わらず多い。

そういう意味ではまだまだフリック入力の方が個人的に最も実用的で自然と入力できているのは確か。

でもまあずっと使っていけばきっと自然とこの辺も解決していくだろうし、今必要もないのに無理に高速入力の練習をしようという気もあまり起きない。

思い返してみれば、フリック入力だって結構習得には時間がかかったと思うし、結構何年も向き合って今の速度と自然さに達しているのだから、あまり現段階の新下駄配列の習熟度と比べても意味がない気もする。

ということで、自然体で入力できる入力方式としての目的は現時点でも十二分に達しているので、速度面が追いついてくるのは気長に待とうかなと思う。といっても、今の時点で130文字/分くらいの速度で打てているので、それほど遅いペースでもないと思っているけれど、ミスタイプがもう少し減るともっとずっと打ちやすく高速になるんだろうな。